メシュラングルメ研究所 10月7日
さあ、先週から日本酒について研究しています。
最近、再び、日本酒が注目を集めています。
ということで、今回は、日本酒について、
佐賀県の「窓乃梅酒造」の13代目蔵元、古賀醸治さん、
北九州市にある地酒処田村本店 4代目 店長の田村洋文さんにお伺いしました。
窓乃梅酒造
佐賀県佐賀市久保田町大字新田1833−1640番地
0952−68−2001
地酒処田村本店
北九州市 門司区大里本町2-2-11
093-381-1496
営業時間 9:30 – 18:30
定休日 日曜日、祝日
https://www.facebook.com/tamurahonten/
清酒の歴史
諸説ありますが、奈良時代には、黒酒(くろき)、
白酒(しろき)というものがありました。
「どぶろく」はそのままで白いので、白酒ですが、
灰を混ぜて濁りを沈殿させ、上澄みを取るのが黒酒になります。
ただ、これらは神様へのお供え物としてのお酒なので、
一般的に清酒(澄み酒)が出回るのは、
江戸時代になってからだというのが定説です。
清酒の産地
江戸時代、近畿地方の日本酒を作る技術は優れていました。
その当時、西宮では、「諸白仕込(もろはくじこみ)」という製法を確立させていました。
「麹米」も、でんぷん質原料として使う「掛米」も、精米したものを使う方法です。
田舎では、「片白仕込(かたはくじこみ)」と言って、
麹米は精米しますが、掛米は玄米でした。
ちなみに、精米方法は、水車などを使った「搗き臼」です。
「窓乃梅酒造」の8代目、古賀文左衛門さんは、
安政6年(1659年)、灘の西宮まで酒造りの勉強に行って、
「四ツ井信助」の元で教わったことを、「西宮土産」という技術書をまとめています。
この中で、「主人は3割搗いたと言うが、2割にしか見えない」という話もあります。
ただ、この当時、米を2割以上削っていたのは、すごい技術です。
現代の精米
戦前は、50%までが限度でした。
今は35%になるまで削る技術があります。
ちなみに、大吟醸は、50%以上削ると、表記できます。
さあ、まだまだ「日本酒」について、研究していきますよ!
来週をお楽しみに!
以上、メシュラングルメ研究所でした。