白岳しろ presents 「飲んで、うまい 食べて、うまい」 5月3日
さあ、今日から始まりました、「飲んで、うまい 食べて、うまい」。
我々は、飲食店の取材をしたり、食材の研究をしていますけど、
このコーナーでは、食べ物とお酒の関係に注目したいと思います。
いわゆる、食べ物とお酒のペアリングを追求します!!
で、皆さんお店で飲んだり、家で晩酌する時に何を飲みますか?
食前酒、食後酒と言って、食べる前後に飲むお酒もあります。
そして、食中酒といって、食べてる最中に飲むお酒もあるわけです。
日本には、食前酒にも食後酒にもなって、食中酒にも良いお酒があるんです!!
それが、焼酎。
なぜ焼酎が食中酒にむいているのか
焼酎は、水やお湯、炭酸などで割って、アルコール度数を調節できます
つまり、様々なお酒の代わりにもなる万能なアルコール
その中でも米焼酎が食中酒に向いている
他の焼酎に比べて、クセが少なく、料理の味を引き立ててくれるからです!
ということで、米焼酎をしっかり知らないとペアリングできませんから、
早速、米焼酎のことを聞きに、熊本県人吉市まで行き、白岳「しろ」を作っている
杜氏の藤本さんにお話をお伺いしました。
米焼酎は日本の焼酎のルーツ
焼酎に関して見つかった文献を探ると、
原料は米であったのではないかということです。
というのも、この文献が見つかった時には、まだサツマイモがなかったからです。
その時に、焼酎として使える材料は、米しかなかったと言えるでしょう。
つまり、米焼酎は日本の焼酎のルーツなのです。
焼酎の作り方が日本に入って来たルート
焼酎は、蒸留酒です。
一説には、ギリシャで蒸留してお酒にする方法が始まり、
それが広まったと言われています。
日本には、どのルートを使って伝わったのかは定かではありません。
球磨焼酎は、昔は各家庭で造られており、
その中で工夫されながら育っていきました。
なぜ、人吉、球磨で米焼酎が生まれたのか
人吉の地は、700年に渡り安定して相良藩が統治していたこともあり、
独自の文化を育んできました。
相良藩は2万2000石しかありませんが、実際は隠し田があり、
10万石ほどあったと言われています。
そこで、余剰した米を食べるのではなく、
焼酎にして貯蔵するようになったのではないかということです。
球磨焼酎は500年の歴史があると言われています。
相良藩の領地内で永禄二年(1559年)に書かれた文献に、焼酎の文字があります。
ということは、少なくとも、その当時から米焼酎を飲んでいたということです。
球磨焼酎は、産地呼称が認められた 本格焼酎のブランドの一つ
焼酎では、「球磨焼酎」「壱岐焼酎」「琉球泡盛」「薩摩焼酎」の
4つしか認められていません。
球磨焼酎ができるまで
米焼酎は、麹も主原料もお米を使います。
まず、お米で麹を造り、そこに酵母を加えて発酵させ、一次もろみを造ります。
さらに、蒸したお米を加え、二次もろみを造り、熟成させます。
量を増やしながら、アルコール度数を高めていくのです。
それを蒸留させるのが、二段仕込み製法です。
本格焼酎、または、単式蒸留焼酎とも言われ、球磨焼酎もこの造り方です。
様々な焼酎の作り方
連続式蒸留焼酎
ホワイトリカーと言われます。酎ハイなどの割りものにも使用。
減圧蒸留酒
蒸留器の中の気圧を下げることで、沸点温度が下がり、40度から50度で沸騰します。
そのため、淡麗で軽快な飲み口になります。
常圧蒸留酒
80度から90度で沸騰させ、個性的なお酒になります。
白岳しろは?
単式で、減圧蒸留されたお酒なので、まろやかな飲み口になります。
食事の邪魔をせず、なおかつ、お酒の主張もあります。
ということで、来週も杜氏の藤本さんとの話は続きますので、お楽しみに!