11月3日のゲストは小曽根真さんでした。

  • 投稿日:
  • by


ポスター全体は↑画像をクリックしてください。

毎回、素敵なゲストをお迎えして、その音世界を紐解いていくプログラム「SOUND PUREDIO presents 音解(おととき)」 。本日のお相手はこはまもとこです。

今日のゲストはみなさんお待ちかね。10月6日、13日に続いてお迎えする小曽根真さんでした。 #小曽根真

まずはドライビングミュージックから。今回選んでくれたのは昨年発売したアルバム小曽根真 THE TRIOのアルバム「ディメンションズ」収録の「フローレス・ド・リリオ」です。

小曽根さんの笑顔とともにスタジオに爽やかな風が吹くような軽やかなナンバーです。

「気がつくともう秋と冬に向かってますけどでも、今年の夏は暑かったじゃないですか。じとーっとした風からだんだんその湿気がなくなってくる。からっとした感じのイメージで選曲をしてみました 」

前回のタワー・オブ・パワーのお話の時も風の話になりましたが、ピアノを弾いている時にも色んな風を感じていらっしゃるんでしょうか?

リラックスして音楽に身を委ねていた小曽根さん、「それは素晴らしいですね」と、ちょっと座り直しました。

この回をradikoタイムフリーでもう一度聴く!→  FM福岡 / FM山口
(radikoタイムフリー、放送後1週間に限り放送エリア内(無料)とプレミアム会員 の方が聞くことができます)


「それはすごく思いますね。なんか音楽は香りとか記憶を思い出すものいっぱいあるんですよ。
音楽って音なんですよね、聞きながらなんか感じてて、おそらく僕が感じてるものをこの音を通じて皆さんは何かこう自分なりの同じような風を受けてるじゃないかな、そう思いますね。 だからね。考えれば考えるほど芸術っていうのはそんな高尚なもんじゃなくて。体が生きていくのに必要な物が食べ物であれば心が生きていくのに必要なものが芸術だと思うんですよね。それ音楽だけじゃなくて絵もそうだし文学もそうだし、全て人間が作るものは、作った人からそれを使う人へ、あるいは聴く人へ、読む人へのコミュニケーションがあるわけですからそこが本当に芸術の一番の存在理由のような気がするんですね」

と、目を輝かせて一気にお話してハッと気づいたように、

「だから、もっともっとその芸術っていうものを貪欲に近づいてほしいなっていう風には...大したもんじゃないんですよね!こんなチャラいのが弾いているんですから、いやホント(笑)」

と少し照れ隠しです。いえいえご謙遜。
今年、小曽根さんは平成30年春の褒章で芸術やスポーツ、学術などの分野で活躍した人に贈られる「紫綬褒章」を授章されました。おめでとうございます。

「アレはもうびっくりしました。もっとおじいちゃんになってもらうもんだっていうと『なんだもらうつもりだったの?』って言わたりもしたんですけど(笑)」

さて、そんな小曽根真さん。
11月29日(木)に、『アクロス福岡シンフォニーホール』で
"音楽の父" バッハにも挑む『小曽根真 ピアノソロ "クラシック×ジャズ"2018』を開催します。



小曽根真 ピアノ ソロ "クラシック×ジャズ"2018

【スペシャルゲスト】中川英二郎 2018年11月29日(木)
開場18:30 開演19:00
福岡シンフォニーホール
※詳しくは小曽根真 Makoto Ozone Official Website (外部リンク)でご確認を。



そして今週は自ら「人生の一番のトラウマ」と語るバッハについてお話していただきました。それはそれは驚愕の小曽根さんの失敗エピソードだったんです。

「バッハのせいではないんですけどね。デビューして1985年にドイツのベルリンのシンフォニーホールでバッハの生誕300周年記念コンサートで僕呼ばれたんですね 。

バッハは即興の天才でしたから、僕はジャズミュージシャンとして即興をやってくれって言われて行ったんですね。 ほかはチェンバロだとかバッハの大家ばっかりが来て。すると、そのコンサートの当日の朝にプロモーターから電話で『バッハの曲、何弾きますか?』って。おい『僕はそんな無理だよ』って言ったら、即興はやってもらうけどその前にバッハの曲1曲やってからじゃないとって言われて。

えー。じゃあどうしようと。僕バッハは練習曲くらいしか弾けないですよ。つったらそれでいいから聞いてくれと言われたんですよ。困ったなと。中学校以来弾いてなかったんで、まずは楽譜屋さん行って楽譜を買って10時から本番の8時までずっと練習したんですよ、お昼ごはんも食べずに。

テクニック的には弾けるんです。だけど『人前で楽譜で弾く』ってこと自身が僕の人生の中で一度もなかったんで。 その初めてをよりにもよって、ドイツのベルリンのフィルハーモニーのホールで、しかもバッハの生誕300周年記念コンサートって。それで僕もパニクっちゃって。


(曲自体は)ものすごく簡単な曲なんですよ。でも最初の1音を弾くのにまず指が動かないんですよ、緊張しちゃって。それで、エイってめちゃくちゃゆっくり弾いたんですけど、わかりやすく3箇所間違ったんですね。

そのコンサートはそれぞれのパフォーマーの最初の3分間はヨーロッパ全土でテレビで放送されて、僕の演奏の間違った部分だけが流れたんです。その後の即興でお客さんが喜んでくれたところは全く流れなくて。で、その翌年からヨーロッパでの仕事が1/3くらい減ったんですよ」

聞いているだけで背筋が寒くなるような壮絶な経験。
それ以降、小曽根さんがバッハを避けたくなる気持ちもわかりますね。

「それから僕は、絶っ対に人前で楽譜をひかないって決めてたんですけど、まあその10年後に結婚して今の妻が、もう1回チャンスが来た時に『あのときはその日の朝言われたでしょ』って『今回はあんた半年練習する時間があるんだから頑張ってみたら』って言われて『ラプソディ・イン・ブルー』って曲を弾くことになるんですけど。だから85年に僕がバッハの曲を弾いて、二度と人前でクラシックを弾かないって決めた理由が実はバッハだったんです。 僕にとってはバッハはダブルにもトリプルにも怖い存在だったわけですね」

ただそんな痛い思い出だけでなく、バッハの音楽自体のあまりにも完璧で奥深さにも、覚悟を迫られるものものがあったようです。

「今は技術的には最近クラシックも弾いていますから演奏はできると思うんですね。ただそのバッハの音楽の深さっていうのは、本当にシンプル。シンプルなんですけど一音どれかをずらしてもバッハにはならない。本当にね、その宇宙人って言いたくなるぐらい完璧な音楽を書かれてるんですね。

ですから、僕らがでちょっとここ変えてみようぜって、例えばシェイクスピアの物語をちょっと(ひねって)アウトローに喋ってみようか、みたいなことを(バッハで)やると、気をつけないとすごく安っぽくなるんですよ。 あーそれやってほしくない、ってお客さんにそう思わせてしまうようなアレンジをしたら負けなんですね。

だから今回は、何かを変えるっていうことを目的にはしないで、自分のマーキングではなく、ただバッハの音楽を純粋に、自分がとにかく譜面通り弾いてみて、それでそこから初めて自分の心の底から聞こえてきた音があればそれをそこに即興で入れていくっていうことができればなと思ってるんですね」

なるほど。今まで小曽根さんがやってきたクラシックの取り組みとも違うのですね。

「そうですね。例えばモーツァルトって人は、自分がすごく即興でどんどん演奏したい人だったのであえて指定がないんですよ。逆にベートーベンは一音でも変えるものなら『どうぞ僕が書いた音よりキミがいい音見つけられるならどうぞ』という言葉が聞こえてくるんですよね。ところが、バッハはそれすら無くて、 絶対に揺るがない、何かこう、動かせない岩石のようなものがドーンっとそこにあるんですよね(笑)だからもう、なんかこうカンカンカンカンって叩いてるうちに『あ、こんなところがあったぞって見つかったらいいなってですね(笑)」

徹底的に削ぎ落とされて黄金率のようにシンプルで完璧なバランスで成立しているバッハの音楽。そこに音楽家として取り組むことの難しさがよく分かるお話ですが、一方で小曽根さんはその時代を越えて、人々をひきつけてやまないバッハの偉大さについてもアツくお話してくれました。

この話を聞くとバッハってやっぱり宇宙人かも?って思ってしまいますよ。

「YouTubeか何かで見たことあるんですけど、バッハのあるなにかの曲って譜面を逆さまにすべて後ろから弾いてみても見事な音楽になるんですね。しかもヘ音記号とト音記号と高音部記号と低音部記号とそれをひっくり返してて演奏してもちゃんとメロディになるんですよ。だからホントこの人宇宙人としかいいようがないんですよ(笑)。

いまだに聞いても古い感じがしないんですね。70年台の音楽を今聞くと、当時の流行ってた楽器の音色とか歌い方とかビートの種類とか。それで、あ、これ70年代80年代って時代入ってていいねとか言うじゃないですか。

(バッハは)300年前ですよ。でも全然古い感じしないですね。バロックの時代ですよ。
そう考えると、文明の進化とともに人間のクリエイティビティってのは実は落ちていってるんじゃないかなと思ったりもするし、あるいは逆に最初にそれをやった人があることによって、その世界は呪われるとも言えるのかなって。音楽界はレコードみたいなものができたおかげで、ものすごく呪縛があるわけですよね。 能の世阿弥は『能の舞い方を巻物に書いたおかげで、能の世界は呪われる』って言ってるんですね。あるものは巻物に書かれた通りに能を舞うし、もう一方の愚かなものはここに書かれてること以外で、能を舞おうとする」

小曽根さんのお話はいつも幅広い知識から引き合いに出しながら、俯瞰的に謎を投げかけたりもします。さてバッハは福音か呪いか。そんな立ちはだかる存在にどのように立ち向かうんでしょう。

「そういう意味で僕はそのニュートラルな形でこのバッハの音楽と向き合えたら、おそらく300年前のバッハの音楽を生で聴いたお客さんの気持ちで演奏できるんじゃないかなっていう。音楽家としてあの人の音楽に入ったらもう絶対潰れますね」

そう言って笑顔。


そんなニュートラルな気持ちで向き合うバッハとはどんなものになるのか?今回のコンサートへの期待は募るばかりですね。

そんなお話をしながら自分の作品から悩みながら一曲選んでくれたのはアルバム「フォーリング・イン・ラヴ、アゲイン」から「Improvisation #1」。インプロビゼーション、即興と名付けれられた一曲です。

「即興の楽曲を6曲を入れてるんですね。その中で1曲なぜかバッハみたいな言語で弾きたかった曲があって。どこまで行けるかなと思って即興でそのバッハの言語のような弾き方をして録音です」

確かに楽曲はバッハのよう。お話の中での「言語」という表現が気になりました。
そして小曽根さんは表現や技術の部分でまさに「言語」としか言いようのない特徴を説明してくれました。

「そうなんですよ。あの時代、使える音階が限られてたのと、あとトリルっていう装飾音(ある音と、それより二度高い音とを交互に速く演奏する)があの時代のもので、あれを弾くだけでバロックって感じになるんですよね。あとはフーガっていう(主題が次々と複雑に模倣・反復されていく対位法的楽曲)追いかけていく感じ、それをとにかくどこまで続けていけるか。そんな中でハーモニーがどんどん変わってきますから、このハーモニーが変わって行く先が(現代の自分が演奏すると)途中からやっぱりどんどん現代に来ちゃったんですね。 そうするとバロックから抜けちゃうんですよね。バロックのひとつのモードの中にずっといなきゃいけないんですけど。こーれが、僕らは大変なんですね。音のチョイスがあるだけにきちゃうんですねこっちにね。あの頃はなかったんですね」

現代の豊かに裾野が広がっている音楽が、かつてのスタイルから逸脱させるというお話、興味深いですね。

「もともと教会音楽から来てますからその頃、動く音程が「ド」から「ソ」じゃなくて、増4度(不協和音のひとつ)で不吉な音がする、これを書くと『悪魔の使いだ』って言ってギロチンにかけられてたんです。 そんな時代。ジャズミュージシャンなんかいたら全員虐殺ですよ。不協和音しか弾かないんだもん(笑)今僕らが慣れてるちょっとテンションの高い音なんて書いたの者全員即死ですよ」

まさにそんな時代でもあり、音楽は神に捧げるものという前提だから限られた音で、その音で弾くとあの頃のバロック時代の音楽のようになるということなんですね。

「そうですね。でそれをモーツァルトなんかは壊していったし、もっとも今聞けばモーツァルトなんかはぜんぜん協和音なんですけど。あの時代はおそらく『アマデウス』の映画見た人はわかるでしょうけど、非常にあの当時モーツアルトは先進的で王様が理解できなかったんですよね。あれで、もし王様がすごいってなったらサリエリは降ろされて、モーツアルトが音楽監督になってたわけでしょ。 サリエリは救われたわけですね。

そんな時代からいろんな音楽家が壊して、挑戦して。だからひょっとしたら挑戦してギロチンにかけられた人もいっぱいいたんじゃないかなと思いますよ」

そうやって音楽ってつながっているんですね。と、こはまさんも深く納得。
バッハから現代の小曽根真さんまで連綿とつながる音楽の歴史、そこには常に革新し前進していく先人からのバトンが渡されまた次代につながっているのかも知れませんね。

さて、3週に渡ってたっぷりお話いただいた小曽根真さんの音解。

何度スタジオにお招きしても尽きることのない驚くような、あるいは抱腹絶倒なエピソードの数々と、カルチャーから音楽まで幅広い知識、話術、そしてなによりも音楽への情熱。まさに圧倒されました。

だけどスタジオは笑いが絶えず、肩のこらない語り口と気遣いで時間は毎回あっという間に過ぎていきました。

今回の福岡での「ピアノ ソロ "クラシック×ジャズ"2018」が本当に楽しみになりました。

今週はバッハのお話一色だったわけですが、最後に小曽根さんからみなさんに今回のコンサートについてこんなメッセージいただきました。

「まぁバッハとても大事なんですけど私、実はジャズ屋でございますので(笑)バッハとかモーツァルトとかを通ってアメリカ経由で、僕らのジャズという楽、我々のオリジナルの音楽。それが実はバッハとどうつながってるかっていうのことも、皆さんに感じてもらえる即興のステージが2部にあります。なので全然違うものというよりは、実は音楽の世界は全部繋がってるんだよ、っていう事を皆さんに感じてもらえるんじゃないかなと思います。

2部はもう踊ってもらってもいいですよ「イエー!」ってう何やってもいいんです。
だけどバッハでも「イエー」って聞いても僕良いと思うんだよね。クラシックのコンサートってのはシーンって聴くのは礼儀としてはあると思うんですけど、しなきゃいけないと思ってすることじゃないですからね。 バッハでも「イエー」でOKですよ。でも、ヤジはやめてくださいね(笑)」

本当にありがとうございました。

次のコンサートで、そしてスタジオに来ていただける日も楽しみですね。

  

次週、11月10日は the pillowsをお迎えします。お楽しみに。