FM 福岡 FUKUOKA

MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2026-06-29(月)

今回のワールドカップから導入された、給水タイム。

事実上の4クオーター制だとして、

会場でブーイングが起こっているのをご存知ですか?

そのブーイングを止めるために、

会場で行われていること。

何でしょう?

答え:カラオケを流す

今回のワールドカップ・北中米大会から導入された「給水タイム」。テレビで見ているとCMが入るので気づかないが、各地のスタジアムでは、ブーイングが起こっていて、日に日にその音量を増しているらしい。
サッカーが事実上の4クオーター制になることに、不満を抱く観客が行なっている。そんな彼らにブーイングをやめさせる最善の方法は、代わりに歌を歌わせることらしい。
例えば、6月18日に行われた南アフリカ対チェコ戦の後半、給水タイムは大きなブーイングに迎えられた。しかしその数秒後、ジョン・デンバーの「カントリーロード(故郷へ帰りたい)」がスタジアムのスピーカーから流れ始めると、それまでのブーイングは6万7,000人による大合唱へと変わった。21日のスペイン対サウジアラビア戦でも同様の光景が見られた。
ダラスでのイングランド対クロアチア戦、ブーイングに対抗するために流されたのはザ・キラーズの「ミスター・ブライトサイド」だった。同じくダラスで行われたアルゼンチン対オーストリアの試合では、ロス・デル・リオによる1993年の大ヒット曲「恋のマカレナ」が使われた。
カラオケという言葉は日本語かもしれないが、有名な曲に合わせて何千人もの見知らぬ人たちと声の限り歌いたいという欲求は万国共通らしい。

答えはこちら

2026-06-26(金)

ワールドカップなぞなぞ~

「せ」という文字は使っちゃダメという、

ピッチの上にいる選手に届けたいもの。

なーんだ?

答え:声援

「せ」だけ使えない、言えないのは、「せ」言えん!「声援」!

答えはこちら

2026-06-25(木)

スウェーデンのサッカー文化の問題です。

スウェーデンのクラブチームは

「51%ルール」という決まりを守らなければなりません。

これはチーム自体を守るためのもの。

誰が、何を、51%持ってないと

いけないんでしょう?

答え:サポーターがチームの株を51%以上持つ

スウェーデンのサッカーチームは、地域住民、サポーターのもの。
短期的な利益ではなく、地域のための運営を行い、クラブの伝統を守らなければならない。
という考えから、チームの株式(議決権)を、51%以上は、サポーターが持ってなければならない。

このルールによって、外資系オーナーがクラブを買収するのを防ぎ、長く、地元で愛されるチーム作りをしている。

答えはこちら

2026-06-24(水)

あさって金曜日に、日本対スウェーデン戦が

行われる「ダラス・スタジアム」。

正式名は「AT&Tスタジアム」、

2009年に完成しました。

今は抜かれましたが、当時は世界一として

ギネスワールドレコーズに認定。

何が世界一だったんでしょう?

答え:大型ビジョン(オーロラビジョン)

ダラススタジアム(AT&Tスタジアム)は、アメフトのダラス・カウボーイズの本拠地として建てられた、8万人収容(最大で11万人)のドームスタジアム。
天井の高さは90メートルを超え、自由の女神が台座ごと入る大きさ。
アメリカでトップクラスのラグジュアリーなスタジアムとされる。

オープン時にギネス認定されたのは、幅48メートル、高さ22メートルの三菱電機製巨大ビジョン「オーロラビジョン」。
バスケのコートよりも大きい。(一度、NBAのオールスター戦が行われた)
(その後、技術の発達で、ラスベガスの「スフィア」など、超巨大なビジョンを作ることが可能になったため、現在は31位になっている)

答えはこちら

2026-06-23(火)

今回のワールドカップで初出場を果たした、

中央アジアの国、ウズベキスタンは

親日の国として知られています。

そのきっかけは、ウズベキスタンのお札にも

描かれている建物「ナヴォイ劇場」の建設に

日本人が携わったこと。

この「ナヴォイ劇場」が国を代表する

建物になった出来事、何でしょう?

答え:(2度の)震災(で無傷だった)

「ナヴォイ劇場」が完成したのは1947年。
この劇場の建設に携わったのは、第二次大戦でソ連の捕虜となった日本人だった。

この劇場は、ロシア革命30周年を祝ってソ連が進めていたもので、建設作業を得意とする日本人457人が派遣された。
(永田行夫という24歳の人物がリーダーとなった)

この時、日本人は劣悪な環境にも関わらず効率的に作業を行い、時にはウズベク人を招いて演芸大会も開いた。
そして1947年に予定通りに完成した。

その後、ウズベキスタンの首都タシュケントは2度、大きな震災に見舞われたが、この劇場だけは無傷で、市民の避難場所にもなった。
以来、日本人はその高い技術力と、当時の礼儀正しさが評価されて、今もリスペクトされているという。

1996年、劇場の建設に関わった日本人を讃えるプレートを設置。
大統領は「彼らは恩人だ。間違っても『捕虜』と書くな」と指示した。

答えはこちら

2026-06-22(月)

昨日のチュニジア戦で、

2ゴール1アシストの活躍を見せた、上田綺世選手。

大食漢であり、以前のインタビューで、

「この間も、そば、天ざるうどんを大盛りと

普通サイズのカツ丼。全然、普通に食べます。

それプラス、〇〇でもいけるぐらい」と答えてました。

あと、何を食べられると答えたでしょう?

答え:カツ丼

フェイエノールトに所属し、今シーズンは日本人初のオランダリーグ得点王に輝いた、日本代表・FW上田綺世。中学時代、身長が170cm程度と体格が未熟だったことから鹿島アントラーズのユースに昇格できなかったという過去を持つ。しかし大食漢もあってか、現在は身長182cm、体重76kgと日本人の中では恵まれた体格を持つ。
2021年のインタビューでは、普段の食事についてこのように答えている。
「めちゃくちゃ食べるようになったのは、中学に入ったぐらいから。たとえば、この前の夕飯だったら、洋食屋に行ってパスタとハンバーグとライスとピザと、あとアヒージョとバゲット2セット。これがいつも食べる普通の量です。和食も同じで、この間も、そば、天ざるうどんを大盛りと普通サイズのカツ丼。全然、普通に食べます。それプラス、カツ丼でもいけるぐらい(笑)」
ただ、食べ方には1つこだわりがあるようで、
「あまり満腹感は好きではないんです。食べようと思えばいつでもいくらでも食べられます。ただ、たくさん食べられるからこそ、その向こう側に行きたくないんです。頑張って食べる領域までは行きたくない。何となくササッて食べるぐらいで終わりたいですね。」と答えている。
また、飲む水の量も尋常じゃなかったため、大学時代の行きつけのうどん屋では、上田が来店するとピッチャーの水が言わなくても出てきていたそう。
ちなみに3年前、インスタに「久々の自炊」として投稿した写真には、大盛りの肉と、その下には「889グラム」と記載されていた。

答えはこちら

2026-06-19(金)

うどんとサッカーなぞなぞ~

上げると得点のチャンス!

点々をつけると

うどんが美味しくなるもの。

なーんだ?

答え:クロス

サッカーで「クロス」を上げれば得点につながるチャンス!
そして、点々をつけると「黒酢」になる…!

答えはこちら

2026-06-18(木)

サッカーの連続記録の問題です。

世界記録は、クロアチアの地域リーグの

ステファン・ルチヤニッチの「5試合連続」。

続く「4試合連続」は1998年に、

当時、ジュビロ磐田に所属していた、ゴン

中山雅史さんが記録しました。

何の連続記録でしょう?

答え:ハットトリック

1試合に3得点以上を挙げるハットトリック。
連続試合記録は、長らく“ゴン”中山雅史さんが持っていた。
1998年に4試合連続を達成。
(4/15 セレッソ戦5得点、4/18 サンフレッチェ戦4得点、4/25 アビスパ戦4得点、4/29 コンサドーレ戦3得点)
ギネスブックに掲載された。

その後、2016年にクロアチアの地域リーグの選手が5試合連続を達成して記録が破られた。

答えはこちら

2026-06-17(水)

日本とチュニジアは

どちらもこれを食べる国。ですが、

他は、中国、韓国、

スペインやイタリアなど限られた国しか

食べません。

日本が世界全体の6割を消費してるもの。何でしょう?

答え:タコ

日本が世界の水揚げ量のおよそ6割を消費しているのが「タコ」。
「タコ」は食べる国がとても少なく、中国と韓国、そして地中海エリアに限られている。
そして、アラブ圏で珍しくタコを食べるのがチュニジア。
特に東部「ケルケナ諸島」はタコ漁が盛んでガルグレットというタコ壺漁が行われている。
タコは、クスクス(パスタ)やサラダにして食べる。

答えはこちら

2026-06-16(火)

今から100年近く前、

1930年に行われた、サッカーの極東選手権。

この年の日本代表の選手は、ほとんどが

東京帝国大学、今の東大の選手でした。

この1930年の日本代表がきっかけでとなって、

今も代表に受け継がれているもの

何でしょう?

答え:ブルーのユニフォーム(サムライブルー)

日本の初めての国際試合は、1917年の極東選手権。
当時は現在の筑波大学が代表として出場したため、筑波のイメージカラーの海老茶色のユニフォームだった。
1930年に、東京帝大のメンバーが中心となって出場。
今も東大サッカー部のイメージである、ブルーのユニフォームを着た。
それが、日本代表のカラーとなるきっかけ。
1936年、ベルリンオリンピックにブルーのシャツで出たことから「ブルー」が定着した。
(メンバーはほとんどが早稲田大だったが)戦後、大会によって、白や赤の年もあったが、1992年に再び青となり、現在も続いている。

答えはこちら

1 2 3 4 5 6 7