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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2025-08-20(水)

北九州・若松と戸畑の間に1962年に

かけられた「若戸大橋」は真っ赤な色。

その11年後に完成した「関門橋」は

やや緑がかったグレー。

この色の違いには、法律の規制緩和が

関係しています。

何という法律でしょう?

答え:航空法

高層建築のルールを決める法律、航空法。

巨大な吊橋は、両側から支える支柱が高さ60mを超えるため、「超高層建築物」となる。

当時、60mを超えると「赤」や「赤白」に塗装することが義務づけられていた。(東京タワーが赤いのもこれが理由。昼間障害標識という)
しかし、1973年、関門橋建築の時、ライトを設置するなど別の手段で存在を知らせることで、他の色でもよくなった。

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2025-08-19(火)

「He is lemon.」

彼はレモンだ と言うと、

マイナスの評価。

「魅力がない」という意味になります。

逆に「魅力的」という意味で使われる

果物は、何でしょう?

答え:Peach(桃)

「lemon」は英語圏では悪い意味で使われることが多い。

「Do me a lemon」は「まさか!ひどい!」
「hand someone a lemon」は「だます」など、
マイナスの意味で使われる。

一方で、良い意味で使われるのは「peach」

「He is peach」というと「魅力的な人」
「a peach of ~ 」で、「とても素敵」「最高」という意味。

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2025-08-18(月)

黒いコートとハットをかぶって、

たたずむ姿が有名な、宮沢賢治。

あの写真は、同僚がカメラを手にした時に、

賢治があわてて着替えて、

そしてうつむき加減にポーズを取ったもの。

一体、誰に憧れて、あのポーズをとったんでしょう?

答え:ベートーベン

無名のまま37年の生涯を閉じ、没後に作品が広く知られ、現在では国内外を問わず親しまれている、詩人で作家の宮沢賢治。生前は岩手県で教師・農業指導者・技師として活動しながら、詩や童話を書いていた。生前に刊行された著書は自費出版で出した詩集『春と修羅』と、童話『注文の多い料理店』の2冊のみ。
そんな宮沢賢治は多趣味で、幼少期には石を好んで収集していたことから、「石コ賢さん」という愛称で呼ばれていた。また、クラシック音楽好きでも知られていて、農民や友人を集めて演奏会などを開いていた。
農学校教員時代の給料80円はレコードや書籍の購入にすぐ消えていき、賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がイギリスのポリドール・レコードから感謝状を贈られたほど。
その中でも特によく聴いていたのがベートーベン。繰り返しレコードを聴きながら「このベートーベンってやつはたいしたもんだ」と何度も友人に語っていた。また、農学校の同僚がカメラで賢治を写そうとしたところ、彼はあわてて更衣室に戻り、黒装束に身を包んで登場。そして学校の畑に移動して、うつむき加減に土を見つめるポーズを取って撮影させた。これは森の中を歩くベートーベンの絵を真似してポーズしたもの。

ちなみに、蓄音機でレコード針として使う竹針を炒って、音質を高める針を発明したこともある。それをアメリカのビクター社に送ったところ、製品化には至らなかったものの、その発想は高く評価された。

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2025-08-15(金)

おでかけなぞなぞ~

まだ到着してないのに

「すでにそこにいる」と言ってるような

商業施設って、どーこだ?

答え:モール

ショッピングモールに「もうおる!」…

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2025-08-14(木)

東日本でよく見る、お盆のお飾り

キュウリやナスビに足をつける「精霊馬」。

山形の一部の地域では精霊馬の

代わりに、変わったものを軒先に飾ります。

1965年、昭和40年頃に始まった風習。

何を飾るんでしょう?

答え:ミニカー

精霊馬は東日本でよく見るお盆飾り。
キュウリを馬、ナスを牛に見立て、ご先祖様が浄土と現世を行き来するための乗り物として飾る。

山形の遊佐町ではお盆になるとミニカー、とりわけ、スポーツカーのミニカーを飾る。その理由は「より早くご先祖様に会うため」。

子どものおもちゃとしてミニカーが流通しはじめた1960年代半ば頃から始まった風習。
お盆前になると、町のおもちゃ屋にミニカーを買うお客さんが集まるようになる。そして軒先にヒモで吊るす。

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2025-08-13(水)

今から 3万8000年前、

日本で、大きな出来事がありました。

今の、日本が作られる

きっかけにもなった 出来事。

何があったんでしょう?

答え:人類が日本に渡った(それまで日本に人間はいなかった)

日本列島に今の人類(ホモサピエンス)が渡ってきたのが、3万8000年前のこととされている。
それより古い遺跡は日本にはない。

3万8000年前に「舟」に乗って、何らかの意図を持って、渡って来たとされている。
(偶然に漂着したとする説もあるが、研究でその可能性はほとんどないとされた)

3万8000年前から3万年前までの遺跡は日本全国で見つかっている。

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2025-08-12(火)

メンチカツが誕生したのは明治32年、1899年。

銀座のレストラン「煉瓦亭」で生まれました。

1905年に発表された夏目漱石の小説

『吾輩は猫である』の中に

メンチカツではなく、「メンチボー」という

名前の料理が登場します。

「メンチボー」、どんな料理でしょう?

答え:ハンバーグ

おそらく「ル」が省略されたと考えられる。
当時、ひき肉を丸めた料理はあったが、まだ「ハンバーグ」という名前はなく、「メンチボール」と呼んでいた。
『吾輩は猫である』の中で「トチメンボ―」という架空の料理が登場。
レストランで「トチメンボ―はないか」と店のボーイを困らせるというエピソードでボーイが、「メンチボーなら出来ます」と答えている。

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2025-08-11(月)

ジャッキー・チェンの映画に関する問題です。

日本で公開する時に編集されて、

それを見たジャッキー本人が気に入り、

それ以降、香港でオリジナル版を作るときにも

取り入れられたもの。

何でしょう?

答え:(エンドロールの)NG集

ジャッキー・チェンの代表作の一つ『プロジェクトA』。実は、この作品の日本版が発端となって、ジャッキー映画の定番となったものがある。それが、エンドロールのNG集だ。
当時、東宝東和で宣伝プロデューサー担当に抜擢されたのが、菅野陽介さん。時計台からの落下シーンを編集段階で何度か見た時、スゴイと思ったと同時に、首から、肩から、脇腹からと落ち方や撮影する角度を変えたりと5回以上は撮り直しているようだと気づいた。
使われていないカットがたくさんあるはず!と香港から膨大なフィルムを取り寄せ、宣伝用素材として使うつもりだった。しかし、届いた素材はどれも音がなく、宣伝素材としては使いづらいため、エンディングにNG集として使うアイディアが生まれた。
そして、それを見たジャッキー本人が気に入り、それ以降香港でオリジナル版を作るときにも取り入れられた。

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2025-08-08(金)

お盆なぞなぞ~

魚介類に腹を立てたら、

ご先祖様が帰ってきてくれました。

その魚介類って、なーんだ?

答え:エビ

「エビ」に対して、「ムカッ」ときたら、「迎え火」になった…

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2025-08-07(木)

2008年に始まった ランキングで、

宮崎県都城市が1位になったのは、

2015年、2016年、2020年、

2022年、2023年の5回。

通算の総額で全国2位につけています。

何のランキングでしょう?

答え:ふるさと納税

2008年に始まった、ふるさと納税制度。
宮崎・都城は、2013までは目立った存在ではなかった。

池田宜永市長が「ふるさと納税」を都城の知名度アップにつなげられないか?と考え、毎日「退屈だ」と訴えていた職員、野見山修一さんをふるさと納税を扱う部署に抜擢。
都城の名産である「黒霧島」と「肉」に特化して都城を知ってもらうことに集中。
当然、他業種からの反発はあったが強いリーダーシップで「都城」の知名度を上げることに成功した。
都城市のふるさと納税の累計総額は、1245億円。

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