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MORNING JAM

問題です!

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2024-10-02(水)

バスケットボールのルールの問題です。

1967年から76年まで、アメリカの大学で

禁止されていたプレーがありました。

公平を目的としたルール変更でしたが、

今は認められています。

何でしょう?

答え:ダンクシュート

リングの上からボールを直接入れるシュート「ダンクショット(ダンクシュート・スラムダンク)」
1967年から1976年まで、アメリカの大学の協会(NCAA)でダンクが禁止された。

UCLAに身長218cmの選手、ルー・アルシンダー(後にカリーム・アブドゥル・ジャバーに改名)があまりに強かったから導入されたとされ、当時は「ルー・アルシンダー・ルール」と呼ばれた。

ただ実際には人種問題が根本にあった。当時、ダンクを打つ長身選手は黒人ばかりだったことから、白人選手を守る目的で作ったと言われる。

当の、ルー・アルシンダー自身は、ダンク禁止をきっかけに「スカイフック」という新しい技を武器にしたため、プレーの幅が広がり、何も問題はなかった。

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2024-10-01(火)

発明したのは、イギリス・スコットランドの

獣医。

牛の腸にガスが溜まる病気「鼓腸症」

の治療を行っている時に思いつきました。

この獣医が1888年に発明したもの、

何でしょう?

答え:空気入りのタイヤ

それまで「車輪」は存在したが、木やゴムの塊でできていて、乗り心地はとても悪かった。
空気入りのタイヤを発明したのはスコットランドの獣医。
空気で膨れた牛の腸を見て、ゴムをチューブ状にして空気を入れることを思いつく。
この獣医の名はジョン・ボイド・ダンロップ。

1888年、ダンロップは空気入りタイヤを開発。翌年1889年にダンロップ社を設立し、大成功を収めた。

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2024-09-30(月)

「人々を笑わせ、考えさせた研究」に与えられる、

イグノーベル賞。

2015年以降、受賞者には、

10兆ジンバブエ・ドル紙幣、1枚が贈られています。

これ、コロナ禍で授賞式がオンライン開催になった時、

意外な方法で受賞者に届けられました。

どういう方法で、届けたんでしょう?

答え:PDF(ファイル)にして送った

ノーベル賞のパロディーで、ユニークな研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」。
9月13日に今年の受賞者が発表され、ブタなどの哺乳類に「お尻から呼吸する能力があることを発見した」として、東京医科歯科大学の武部貴則(たかのり)教授らの研究チームが「生理学賞」を受賞した。日本人の受賞は18年連続。
2019年まで、授賞式は毎年、ハーバード大学のサンダーズ・シアターで行われていた。ノーベル賞では、式の初めにスウェーデン王室に敬意を払うのに対して、イグノーベル賞では、スウェーデン風ミートボール(スウェーデンの郷土料理)に敬意を払う。また、受賞者の旅費と滞在費は自己負担で、授賞式のスピーチでは、聴衆から笑いをとることが要求される。
受賞者には、組み立て式のトロフィーと、コピー用紙にプリントされた賞状が贈られる。また、賞金は原則としてゼロだが、2015年以降、10兆ジンバブエ・ドルが授与されている(紙幣1枚、ただしこの時点ですでに貨幣としては無効、日本円にして約0.035円)。
2020年〜去年までは、新型コロナウイルスの流行に伴い、オンラインで開催されたため、10兆ジンバブエ・ドルやトロフィーはPDFで授与された。
今年の授賞式は5年ぶりにオフラインで開催され、アメリカのマサチューセッツ工科大学で行われた。

・ちなみに、ジンバブエ準備銀行のゴノ総裁は2009年イグノーベル賞・数学賞を受賞している。理由は「1セントから100兆ジンバブエ・ドルまでの幅広い額面の銀行券を印刷させることによって、非常に大きな数字にも対応できるようになるための、簡単で毎日できるトレーニング法を国民に与えたことに対して」

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2024-09-27(金)

総裁選なぞなぞ~

「総裁選」は、

「ひょう(票)」ではなく、「ぎょう」を取れば勝てます。

勝つために取る「ぎょう」って、なーんだ?

答え:サ行

「そうさいせん」からサ行の音、「そ」「さ」「せ」を取ると「ウイン(win)」!

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2024-09-26(木)

計算問題です。

バスケットボールで、

3ポイントシュートの距離は

6.75m以上。

この、6.75mの場所からシュートを打つ時、

方向が横に1度ずれると

ボールは何センチずれるでしょう?
(小数点以下、四捨五入)

答え:12センチ

解き方はいくつかあるが、

①三角関数を使うと正確に出せる。(高校以上)
tan1°(角度が1度の時の底辺と対辺の比)=0.01745
つまり、1m先で、0.01745m=1.745cmずれる。
6.75m先の場合は、6.75×Sin1°=0.1178・・・m=11.78cm ≒12cm

②円弧の長さを計算すればおおよその長さが出る(中学生・小学校高学年)
半径6.75mの円の1°の弧の長さを求める。
円周は直径(13.5)×円周率(3.14)=42.39m。
その1/360なので、42.39÷360=0.11775m ≒12cm

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2024-09-25(水)

美味しいものを食べた後は、

必ず「ご馳走様でした。」

この「ご馳走」という言葉で、

「走った」のは誰でしょう?

答え:韋駄天

「馳走」、「御馳走」という言葉の元になったのは、
仏教の神(仏神)、韋駄天がお釈迦様のために方々を駆け回って食べ物を集めたとされるエピソード。
そこから、来客に食事をふるまい、もてなすことを「馳走」と言うようになった。(「馳」は「速い」という意味)
韋駄天は仏教の天部(六道の最上部)の神。

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2024-09-24(火)

牛の革をやわらかくするために、

タンニンを使うと、

革がオレンジに近い茶色に変化。

今は、タンニンは使ってませんが、

オレンジっぽい茶色と決められています。

何の色でしょう?

答え:バスケットボール

バスケットボールがオレンジっぽい茶色なのは、牛の革をタンニンでなめしていたから。
当時は天然の革のボールしかなく、阿アメリカで牛の革を加工するのにタンニンを使うのが一般的だったことから、当時 牛革といえばオレンジ色でボールもその色になった。

今も、公式球の色はオレンジ系と決められている。アマチュアでは人工皮革やゴムのボールも使われるが、すべてオレンジ色(茶色)に着色されている。

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2024-09-23(月)

今現在、53-55の大谷翔平選手。

彼が、高校時代に掲げていた1番の目標は、

「8球団からのドラフト1位指名」。

そして、これを達成するために

さらに立てた、8つの項目。

「体づくり」「コントロール」「キレ」「スピード」

「変化球」「メンタル」「人間性」。

あと1つは、何でしょう?

答え:運

先日のマイアミ・マーリンズ戦で「50-50」を達成し、今現在「52-53」と、勢いが止まらない大谷翔平選手。小学3年生で野球を始め、高校2年生で同学年の最高球速タイ記録を打ち立て、高校3年生でアマチュア野球史上初の時速160kmを投げて、世間の注目を集めた。
その大谷が高校時代に活用していたという目標達成シートが「マンダラチャート」と呼ばれるもの(仏教美術のマンダラの形に似ているため)。
マンダラチャートを作るには、まず一番大事な目標を掲げる。そして、それを達成するための8つの項目を立てる。さらに、その項目を達成するために8つの具体的な行動を設定する。
大谷はマンダラチャートで「8球団からドラフト1位指名」という目標を掲げた。そして、8つ項目と、64個の緻密な行動計画を立てた。
大谷が立てた計画のうち、面白いのは、彼が運を「積極的に手に入れることのできるもの」と見ている点だ。大谷が運を手に入れるための要素として挙げているのは「プラス思考、本を読む、あいさつ、ゴミ拾い」など。
「運をマネジメントすること」も、誰もできなかったことをやってのける、大谷の凄さの一因になっているのかもしれない。

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2024-09-20(金)

なぞなぞコンダクタ~

すぐれた指揮者として認められた

こうじくん。

前は指揮棒じゃない、別のものを振ってました。

こうじくんが前、振ってたもの。

なーんだ?

答え:ストロー

すばらしい指揮者の称号「マエストロ」になる前に振ってたのは、指揮棒ではなく、ストロー…

マエストロ(maestro)は、元々はイタリア語で「特にすぐれた指揮者(conductor)」のこと。今は英語でも使われる。

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2024-09-19(木)

20世紀のもっとも偉大な指揮者といわれる、

ヘルベルト・フォン・カラヤン。

1973年に来日した時、隈部まち子さんという

当時20歳の女性が、カラヤンに話しかけ、

あるお願いをします。

カラヤンはその願いを聞き入れました。

その「願い」何だったんでしょう?

答え:私たち(上智大学)のオーケストラで指揮をしてほしい。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)はオーストリア、ザルツブルク生まれの指揮者。
それまで1つのオーケストラの「顔」として同じ会場で指揮するのが普通だった時代に世界を飛び回って活動するという、スター指揮者の姿を作った人物。
日本にも度々訪れていたが、チケットはほとんど手に入らないぐらいの人気者。

そんなカラヤンが来日した時、1000円のミカンを手土産に、「指揮してほしい」と無茶なお願いをしたのが上智大2年の隈部まち子さん。
当然、警備員に追い返されたが、翌日またお願いに行き、カラヤンにすっかり気に入られる。
そして10月31日、朝のリハーサルをカラヤンは早めに切り上げ、本当に上智大学管弦楽団(ソフィア・フィル)の練習場に現れた。

カラヤンはこの時、ベートーヴェンの第9の第3楽章を演奏させて丁寧にアドバイスをした。
1時間ほど指揮をとり、満足したカラヤンは翌年、ソフィア・フィルをベルリンのコンクールに招いた。

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