fmfukuoka

2009年6月アーカイブ

【その3】 日蝕について

日蝕051103~1.JPG
どうも、作演出の阿久根です。

『月のしらべと陽のひびき』では重要な【箏】に関する話は、企画段階で資料をいっぱい集めた大塚さんに任すとして、僕はそれ以外のことを書くことにします。

と、いうことで、今回は、物語に関わる自然現象【日蝕】について。

この物語の最後に流れる曲は、姜琰の奏でる「月のしらべ」と、甘沢の奏でる「陽のひびき」が重なるようになっています。

この月と陽が重なることが、大きなポイントだったりするのです。

箏奏者の河原さんに、物語用の曲を作ってくれと頼んだら、しっとりとした旋律の曲があがってきたので、それを「月のしらべ」というタイトルにして姜琰のテーマ曲としました。

「月のしらべ」という曲が出来上がって、それを聴きながらイメージを膨らませて書いた物語だったんですが、甘沢のテーマも欲しいと思って、河原さんに「陽のひびき」という曲も作ってくれと発注しました。
そして、最後、それ2つが入り混じるようにしてほしいとムリを言ってみたら、彼女は

「えーッ!」

と言いましたが、多少フテつつもちゃーんと作ってくれまして(ありがとうございました)。
そこで、月と陽の2人の重なりということで、物語の中に日蝕も盛り込もうと考えたワケです。

で、その日蝕の話なんですけれども、この現象は古代中国では極めて政治に関わってくるものだったりします。

太陽が欠けてゆくのは、とてつもなく大きな龍が太陽を飲み込もうとしていると考えられていました。

太陽は王のシンボルだったりします。

なので、日蝕は、王の政治が悪いからそれが起こると思われたり、不吉な前兆と思われたりしまして、そのために年号が変わったり、王が戦をするのを止めたりしてました。

それで、古代の権力者たちは、それを予測しなければならなくなり、天文観測や占星術が発達するのです。

てなワケで―――
2人が出逢うシーンは日蝕の起こった日にしました。

日蝕を不吉と思った人々が商売を止めてしまい、閑散とした市場で甘沢と姜琰は互いを発見するのです。

まあ、まだ物語を知らない人もいるだろうから、詳細を語るのは止めにします。


で、発注を受けてしまったものの、まだ僕が一行も書いてないころ......

別仕事で大塚さんと鹿児島に行った新幹線の中で

「ねー書いた?書いてくれた?」

と言われて、

「まだいろいろデータが足りないから書けません」

と返したんです。

で大塚さんが「ナニが足りないの?」って訊くから、

「昔の中国の日蝕に関するデータですよ。そこを調べて物語の時代を設定しますから。そういうの調べられるソフトがあるから、それ使って時代を絞り込まないと」

って言いました。
そしたら...

「うんじゃ、分かった、それ俺がやっとく。それよりさ、琴と琴が会話をするんだようぅぅ。こっちで『あなたを愛しているわ』って言うとね、こっちじゃ『俺もお前を愛しているよ』なーんて言うんだようぅぅぅ、琴で。早く書いてよぅぅぅ...」

結局、日蝕の調査なんて全然やってくれませんでした。

まー...物語作りは、そこらへんが苦労しましたね...

作演出 阿久根知昭

【その2】 編鐘という楽器について

こんにちは

作演出の阿久根です。

前回、弓から発展した琴が、さらに発展して箏(そう)《日本ではこれでこと》になったというお話をしましたが、主人公の楽士の甘沢(かんたく)が扱っていた

【編鐘(へんしょう)】

という楽器について説明しとこうと思います。

編鐘080423_0854~01.JPG

大小60もある鐘を叩いて音を出す楽器です。
音域は5オクターブくらい。

編鐘の歴史は古く、西周朝初期...と書いても分かんないですよね。
えー...今より約3000年前の出土に見られます(日本は縄文時代でした)。

だいたい大きな王の陵墓なんかを調査すると編鐘は出てきます。
ま、「そんだけのシロモノだった」と言いたかっただけなんスけどね。

ちなみに、『月のしらべと陽のひびき』は戦国時代(前403-前221)の末期を舞台としてます。

で、

『月のしらべと陽のひびき』の劇中―――
主人公の甘沢が、父の代から王侯貴族に仕える楽士であったとなっています。

そして、「おもに国の行事などで演奏していました」とあるのは、編鐘がそこいらで奏でられるような楽器でなかったことを窺わせています。

そのセットの大きさと部品の多さ、そして高価さが、全然手頃な楽器ではないんですね。

これも劇中で、

「編鐘は、青銅で鋳造されていて、大小60個もある鐘を木槌で叩く楽器で、財力がないと作れず、甘沢ほどの一楽士が所有するなど、とても無理な楽器でした」

と出てきますが、実際、編鐘の鋳造には大量に青銅を使うため、国王や諸侯、豪商などの凄い金持ちしか作れませんでした。

三国時代の魏の武王(曹操)なんて、あまりにも青銅を使う量が多いため禁止令を出してます。
そのため、それ以後は廃れてしまいました。

まー、甘沢くらいの楽士が所有できるワケがない。
したがって、その仕えていた主が滅んでしまえば、もう失業。
編鐘に触れることさえ許されない身となります。

なので、新しい楽器を探していたのですねえ......

で、箏(こと)が出てくるワケです。

編鐘の説明は企画構成の大塚さんにもしたりしてたんだけど、彼はそこにはあまり興味がなく――

「うん、分かった、任せる。それはいいから。それよりさ、琴と琴が会話をするんだようぅぅ。こっちで『あなたを愛しているわ』って言うとね、こっちじゃ『俺もお前を愛しているよ』なーんて言うんだようぅぅぅ琴で。いいじゃんコレー、よくないコレー?」

って熱弁&ウットリ。

まー...物語作りは、そこらへんが苦労しましたね...


作演出 阿久根知昭

作演出の阿久根です。

今日は、物語の舞台となる時代や場所、そして、これをやることになったキッカケについて書こうと思います。

企画を出してきた大塚さんが、描きたいと思ったのは中国を扱ったもの。
少し前に中国を題材にドラマを作ったこともあって、いろいろお勉強した結果、彼の中で空前の中国ブームが起きてました。

それで中国が舞台。

そして、ラジオなので、音中心でドラマ構成出来るツールとして、【琴】という楽器を扱うことを思いついたらしいです。

そもそも大塚さんったら、大の韓流メロドラマファン。
『冬のソナタ』のロケ地なんぞを巡ったりするオヤジさんだったりするのです。
それで、どうしても感動して涙する物語を作りたかった。
悲恋モノ悲恋モノうるさかった。
ホントに。

で。

大塚さんは感銘を受けたり、心に響いたりすることを

『琴線に触れる』

というのを発見し、ある日、僕を呼び出し、

「ねー、阿久根君、カンドーしたりすること『琴線に触れる』って言うんだよ。知ってた?」

てなことを言ってきました。

そんな周知のことを高い目線から言うオヤジさんには、もちろん現場ではたくさんツッコんどきましたが、結果、そーゆーのがキッカケで、彼の中では

【琴の響き=感動物語】

という式が完成していたようで......
そんで、箏(こと)を悲しそうに爪弾く女性像が先行してヒラメいて、「悲恋物語が出来る!」と思ったみたいです。

で、僕は箏テーマの物語を書くハメに。

書く前に、もちろん大塚さんが調べておいた琴(こと)についての資料も受け取っていたのですが、それを見てみると、琴は狩猟民族の弓から発展した楽器で、弦楽器全般を【琴】というとありました。
なので、ハープを始め、琵琶やギターや三味線もぜーんぶ【琴】ということに......

現在、あの横に寝かせて弾く楽器は【こと】とは言いますが、正しく書くと【箏】と書いて、これで【こと】だったりします。
中国では、現在【古箏】(こそう)と呼ばれています。

日本の箏と、中国の古箏では、カタチは同じようでも、音を響かせる構造などが違っていて、それぞれ、その土地で独自の進化を遂げた楽器だったりします。

中国地図.JPG
では、その【箏】(寝かせて弾く楽器)の原型が、どの時代にどこで広まったのかというと、2200年くらい前の中国、それも西方の『秦』辺りだと言いますから、戦国時代の終わり...秦の始皇帝が中国を統一する頃です。

だから、舞台は春秋戦国末期の中国です。
始皇帝が即位した紀元前246年から少しあとで、秦が中国を統一する前にしました。

西の端に位置していることから蛮族の国として疎まれていた秦が、国力を持ったことで世界各国から人が集まってくるようになり、アラビア方面や北方民族から文化が流入しました。
そこには多くの楽器も渡ってきて、箏の原型もそこにあったのではないかと思います。

物語の舞台は、魏という国です。
それは、秦にまだ対抗できる力を持つ大きな国であり、秦から新しい文化が一番に入ってくる国だったのでそうしました。
ヒロインの姜琰(きょうえん)は、秦から流れてきた大道芸人一座の踊り子です。
姜琰の名前も、そのルーツが西の少数民族の出であると暗示させています。

一方、甘沢(かんたく)は、前249年に楚(そ)から滅ぼされた魯(ろ)という国の楽士です。
魯は、東にある国です。
なぜ東の魯にしたのかというと、そこは儒家を多く輩出した国で民度が高いため、西方の国を蛮族扱いする気風があったからです。

編鍾(へんしょう)という楽器の楽士であった甘沢は、魯が滅んで失業し、一人で扱える新しい楽器を探しているところで、箏を弾いている姜琰と出会います。

甘沢は、始めに箏を見たとき、寝かせて弾く楽器を珍しがっていますが、

「私は新しい楽器を求めている。しかし、お前の様な大道芸人の楽器では、王侯貴族に取入ることは出来まい」

と、ちょっとした差別的発言をしているのは、弦楽器は蛮族のものであるという当時の常識から出てきているのです。

秦などでは一般的に普及し始め、女性のみならず、男性でも弾く者もいるのに、気位の高い東の人間である甘沢らしいセリフとなっています。

そういう背景も知っているとより一層楽しめます(と思います)。

この物語は、悲恋ドラマとしても面白く作り、歴史好きの聴取者をも満足させたいと思っていろんな考証を組んでいますので、それはそれは苦労したワケです。


長くなりましたので、続きはまた今度。

作演出 阿久根知昭

はじめまして。

皆様、はじめまして。

『月のしらべと陽のひびき』を作演出いたしました阿久根と申します。

エフエム長崎でお聴きになって、泣いていただいた裕子さん、ありがとうございます。

感動した裕子さんにとっては、きっと、物語に出てきた相国っつー悪者はそーとー憎たらしかったりするんでしょうね。

えー...とにかく、

これからはラジオドラマに負けない舞台を作るために頑張りますので、これからも、応援を宜しくお願い致します。

てなワケで、
僕は、来年5月の舞台公演も総合演出をするということで、今、着々と準備を整えているところでございます。

それで、このプログに苦労話...あと、舞台となった時代背景なんぞを紹介してほしいと、随分前に言われてたんスけど、昨日、こちらへのアクセスの仕方をプロデューサーの大塚さんに聞きまして、本日こうして参った次第でございます。

結構、後ノリで記事投稿してますけど、なんせ昨日教えてもらったばっかなもんで...すみません。

先日、『月のしらべと陽のひびき』の翌年に書いた『聞こえない声』がギャラクシー賞の大賞なんて獲っちゃってたもんですから、昨日、写真撮影とコメント収録に局に出向いたら...

「あ、そうだ。ブログのアクセスの仕方教えとく」

って大塚さんがね...

なんとなく印象的には『ついで』だった。

てな話をしつつ―――

とにかくとにかく!

ここをご覧頂いた方々には、是非是非、この舞台、このイベントに興味を持って頂くよう、これからちょっと頑張って書いていきますので、宜しくお願い致します。

まー、大塚さん偉いね、写真付けちゃってたりなんかして。

えー...まずはご挨拶でした。

これから、いろいろイベントの進捗状況もお教えいたします。

ではでは。

作演出 阿久根知昭


090617_筝(こと)の物語り


CHIAKI様
さっそくの応援コメント、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
さて、本日はラジオドラマ「月のしらべと陽のひびき」の重要な役割を担っている、
筝(こと)について、ご紹介します。


善導寺1.JPG
久留米の善導寺境内にある「筝」の石碑


中国からやってきた「箏こと)」は福岡県久留米市と、非常に密接な関係があります。

 筝は奈良時代直前に中国(唐)より日本に伝わり、
当初は雅楽の管弦楽奏用楽器の一つとして使用されていました。
日本における筝曲の発祥は筑紫流といわれています。
これは、九州久留米の善導寺の僧侶賢順(けんじゅん)が,
雅楽と琴曲(きんきょく)の影響を受け、筝の音楽を、
室町時代末期に大成させたものです。

こういった事実をもとに、
ラジオドラマ「月のしらべと陽のひびき」が生まれていったのです。

プロデューサー:大塚和彦

Podcast

アーカイブ

最近のコメント