fmfukuoka

2009年10月アーカイブ

【その17】磨かれる現場について

どうも、作演出の阿久根でございます。

えー

先日、『客に誠実になれー』みたいな偉そうなこと言ったりして、
その流れで、なぜに地方劇団は「東京進出」というスローガンを掲げるのかというヨタ話になりまして、
地方でそれほどの評価でもないのに、分母の大きいとこ行ってどうする...みたいなこと書いちゃったら―――

「東京やニューヨークなんかに行くなと言うの?」

みたいなことを言われました。

いえいえ、僕は逆にどんどん出て行け派でございます。
そこへ出て行かないと、自分がどの程度のモンなのか分かりませんもんね。

ただ、客に金を出してもらっても誠実に応えられないソフトなんて持って行くな。
客には迷惑をかけるなと言っただけでございます。

「あの時、出て行ってれば良かった」

とか後で言うくらいなら、出て行ってみて、成功するなり失敗するなり、
もっと大舞台に出てゆくなり、メゲて帰ってくるなりすればいいと思いますよ。

ということで、今日はちょっと、そこらへんの話をします。

これは、前にホカで言ってたことなんですけどね...

ここを訪れた方で、もし、大きな世界へ出て行きたいと思っていても、なかなか踏み出せずにいる人がいたら、
その方に向けて言葉を贈ろうと思います。


新聞のタレント募集広告なんかでよく『原石募集』なんて書いてありますが、
でも原石って磨かなければただの石ころです。

磨かなければダイヤモンドの輝きは生涯ありません。

ダイヤモンドってすっごく硬い物質で、削ったり磨いたりって加工は、同じダイヤでやらないといけないんです。

無数の小さなダイヤが付いた研磨機で、原石を四方八方から傷付けると、ブリリアントな輝きが出るんです。

ダイヤの原石は、フツーの石ころに囲まれていても、削られることはありません。

自分が、ホカの石ころ連中を傷付けたり壊したりすることはあっても、自分は絶対に傷付かないし壊れません。
なので、九州では安穏な心地よい日々が送れます。
だから身内ウケを勘違いしたりもします。

野心もあって人一倍プライドもあるのに、自分が傷付けられるところを見られたくない弱さから、
ダイヤの連中がゴロゴロいる場所に出るのを躊躇していたら、ずっと原石のままなんです。

原石のままというより、それはもう【ただの石ころ】ですね。

ボロボロになる覚悟、四方八方から傷付けられる覚悟がなければ、
誰もあなたの輝きを発見することは出来ません。

傷付いた回数分だけ輝く面が増えることを知ると、どこへだって行けますよ。

でも...

こちらの土地でもダイヤを磨ける、原石を傷つけることの出来る刺激のある現場がたくさん作れたらいいなあ
...と思っています。

だから、FM福岡は初めてその現場としての舞台を作るんです。

芝居と音楽とダンスが織り成すステージを―――
この土地で作ったものをもっと具体的に、この土地から発信するものをもっと誠実に...作ろうとしているんです。

自分が何かしらの原石だと思っている方は、積極的に傷つく現場に行きましょうねっ。

コンクールでも、コンテストでも自分の作品を出せばいい。
自分の身をさらしに行けばいい。

―――

えー...

ところで、今回の舞台では群舞のダンサーを30名ほど募集してます!
どしどしご参加くださいまし(笑)

ダイヤでもなんでもないただのビー玉
阿久根知昭

【その16】客を楽しませるという基本

どうも、

作演出の阿久根です。

今日は、客に対して誠実になりたいという話なんですけどね。

ラジオでオンエアされた『月のしらべと陽のひびき』は、1時間弱のドラマなんですが、
それを舞台にするっつーことで、もっとお客さんが楽しめる時間を増やそうと、
今、1時間半以上はある構成に作り直しています。

あのー...
客がそれを観るためにそこへ移動してくるというのは大変な事件なんです。

金も時間も使って、そこへ来てくれる客に対しては、絶対に誠意が必要です。
役者が格好よく見えるか、演技がサマになっているか、なんて僕は気にしません(すみません)。

客が喜ぶかどうかだけです。

金を取って観せるものは、全て【客】が主語でなければいけません。

完璧な芝居をしても、それが客の喜ぶものでなければ意味ないと思ってます。
例え表現がグダグダでも、客が感動してくれたら、送り手のサービスとしては合格と思ってます。

...ちなみに
僕は賞を獲るためにこの物語は作ってません。

『どうやったら聴いてる人たちが喜んでくれるのか』

なんです。
そうやって書いた結果、コンテストの審査された方たちも喜んでくれたから賞に繋がったんでしょう。
(狙って獲ったと言っている大塚さんは置いていて)

それこそ舞台は、もっと純粋にそこに来た客が喜んでくれるかどうかになります。

よく地方で活躍していらっしゃる劇団の方たちが「東京進出」だとか言って、それを目標にして頑張ったりしていますが、それは―――

東京に行って「自分たちをアピールしたい」のか

東京に行って「客を喜ばせたい」のか

...

実はそこには大きな違いがありまして...
たぶん前者は、行って「東京で公演した」という事実だけ作ってショッパイ評価を貰って終わりです。

僕は、なぜ、地方演劇人の方々が「東京進出」って言葉を、まるで「甲子園へ行こう」みたいなスローガンにしているのか、よく意味が分かってません。
東京は分母がどこよりも大きくて、素晴らしいアーチストは大勢いますが、しょーもないのもごまんといます。

客を楽しませるということからズレて、自分らを誇示したいだけで大きな市場に出て行っても、ホカのしょーもないグループの枠に入れられ埋もれるだけだと思います。

地方で、客を喜ばせるということに心を砕かずに、身内だけに良い評価を貰っていたところで、まったく知りもしない大勢にも、いい評価がもらえるかも知れないなどと思うのは、甘いんじゃないかなーと思います。

何でかですねー
福岡の老舗劇団のいくつかも、ある日「えいやッ!」と東京公演するんですよ。
で、なんかモヤモヤして帰ってくるんです。

何でしょうね、アレ。

えー...
とにかく、
僕はこういう考えなので、賞に出品する作品の大枠は、

【どこの土地の誰でもが楽しめる作品を書こう】

なんです。

なので【賞は狙って獲るもんだ】と言って、賞を獲る要素だけをせっせと集めるある方に、僕はすぐナンクセつけてしまうんですけどね。
だって、それって、自己アピールするために東京進出を唱える地方劇団の方々とイメージが被るんスもん。

僕の作演出した作品で賞が獲れたのであれば、それは「聴いた人を喜ばせよう」と思っていたのが正しかったと思って欲しいものです。
毎年の受賞も全てそこですよ。

「これは誰もが喜べる」

と、毎年連続で思われたんです。

なので、今は、どうやって「客を喜ばそうか」ばっか考えている日々です。

芝居も、音楽も、ダンスも、

「それで客が喜ぶか?」

がダメ出しのラインなんです。

もちろん、予算との戦いもありますが、そのラインも

「ここまで削ってもちゃんと客へのサービスになっているか」
「ここまで金を使わなきゃ客へのサービスに繋がらない」

ってことで悩んでいます。

全て【客】です。

作演出 阿久根知昭


久しぶりの、おおつかです。

ラジオドラマ「月のしらべと陽のひびき」の企画のヒントは、
中国・西安へ旅行にいったときのことだなあ、と思い出したので書いてみます。

2006年の夏。そのときの旅行の目的地は、もっと西にある敦煌(とんこう)。
中国の歴史上、忘れることができない貿易拠点です。

島国日本と違って大陸は陸続きなわけで、中国民族は考えたわけですね。
「そうだ、西に行けば、もっとお金になる貿易品が手に入るかも?」

西安(当時は長安といわれていた)という町は、ある意味、
そのときの中国としての西の端ともいえるのかもしれません。

敦煌は、大切な貿易ルートの拠点だったと考えられます。
シルクロードの分岐点としても有名ですね。

で、現在の西安は実際に行ってみると、肥沃な大地の上にたつ町、というイメージ(あくまでもイメージです)でした。
それに対し敦煌は、まさに砂漠の中の町。
乾燥しまくりでした。
海抜1138m。人口約15万人。
年間降雨量39,9mmの砂漠性気候のオアシス都市です。
有名なゴビ砂漠の真っ只中に位置します。

ところが、そんな砂漠の町なのに現代では、水が豊富なのです。
先人たちの知恵のおかげで、灌漑用水がうまく機能しているのですね。

ここでの素直な感想は「中国民族おそるべし!」
考え方が半端じゃないです。

そういえば、孫悟空でおなじみの西遊記にでてくる三蔵法師も、この敦煌を経由して天竺(インド)まで行っています。
歴史上、有名な三蔵法師も行きは許可のない旅だったため、関門(関所)を通れないので、ずっと迂回して行ったとか。コソコソと・・・?
それに対して帰ってくるときは、堂々と関門を通ることができたのです。
つまり、帰りは高名なお坊さんになっていたし、たくさんの経典を持ち帰ったので、
いわば英雄あつかいだったのですね。

この敦煌近郊の玉門関(ぎょくもんかん)という関門(関所)の原型は残っており、
土と岩で作られた立方体の砦みたいな建造物でした。

驚いたことに、このそばにも「万里の長城」の端くれが残っていたのです。
高さ3?4メートル。
中にワラと土とを交互に固めて作った塀みたいなもので、
とても万里の長城のイメージとはほど遠いものでしたが、造られたのは約2000年以上前のこと。

しかし、こんな西の端にまで長城を築いてしまった、中国の歴史。
すさまじいものがあります。
その背景には「匈奴(きょうど)」の恐怖があったからのようです。


あああ、なんだかだらだらと長くなってしまいました。
おまけに、この旅行の写真が1枚もみつかりません。

続きは、いずれ、また。

おおつか

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