fmfukuoka

【その16】客を楽しませるという基本

どうも、

作演出の阿久根です。

今日は、客に対して誠実になりたいという話なんですけどね。

ラジオでオンエアされた『月のしらべと陽のひびき』は、1時間弱のドラマなんですが、
それを舞台にするっつーことで、もっとお客さんが楽しめる時間を増やそうと、
今、1時間半以上はある構成に作り直しています。

あのー...
客がそれを観るためにそこへ移動してくるというのは大変な事件なんです。

金も時間も使って、そこへ来てくれる客に対しては、絶対に誠意が必要です。
役者が格好よく見えるか、演技がサマになっているか、なんて僕は気にしません(すみません)。

客が喜ぶかどうかだけです。

金を取って観せるものは、全て【客】が主語でなければいけません。

完璧な芝居をしても、それが客の喜ぶものでなければ意味ないと思ってます。
例え表現がグダグダでも、客が感動してくれたら、送り手のサービスとしては合格と思ってます。

...ちなみに
僕は賞を獲るためにこの物語は作ってません。

『どうやったら聴いてる人たちが喜んでくれるのか』

なんです。
そうやって書いた結果、コンテストの審査された方たちも喜んでくれたから賞に繋がったんでしょう。
(狙って獲ったと言っている大塚さんは置いていて)

それこそ舞台は、もっと純粋にそこに来た客が喜んでくれるかどうかになります。

よく地方で活躍していらっしゃる劇団の方たちが「東京進出」だとか言って、それを目標にして頑張ったりしていますが、それは―――

東京に行って「自分たちをアピールしたい」のか

東京に行って「客を喜ばせたい」のか

...

実はそこには大きな違いがありまして...
たぶん前者は、行って「東京で公演した」という事実だけ作ってショッパイ評価を貰って終わりです。

僕は、なぜ、地方演劇人の方々が「東京進出」って言葉を、まるで「甲子園へ行こう」みたいなスローガンにしているのか、よく意味が分かってません。
東京は分母がどこよりも大きくて、素晴らしいアーチストは大勢いますが、しょーもないのもごまんといます。

客を楽しませるということからズレて、自分らを誇示したいだけで大きな市場に出て行っても、ホカのしょーもないグループの枠に入れられ埋もれるだけだと思います。

地方で、客を喜ばせるということに心を砕かずに、身内だけに良い評価を貰っていたところで、まったく知りもしない大勢にも、いい評価がもらえるかも知れないなどと思うのは、甘いんじゃないかなーと思います。

何でかですねー
福岡の老舗劇団のいくつかも、ある日「えいやッ!」と東京公演するんですよ。
で、なんかモヤモヤして帰ってくるんです。

何でしょうね、アレ。

えー...
とにかく、
僕はこういう考えなので、賞に出品する作品の大枠は、

【どこの土地の誰でもが楽しめる作品を書こう】

なんです。

なので【賞は狙って獲るもんだ】と言って、賞を獲る要素だけをせっせと集めるある方に、僕はすぐナンクセつけてしまうんですけどね。
だって、それって、自己アピールするために東京進出を唱える地方劇団の方々とイメージが被るんスもん。

僕の作演出した作品で賞が獲れたのであれば、それは「聴いた人を喜ばせよう」と思っていたのが正しかったと思って欲しいものです。
毎年の受賞も全てそこですよ。

「これは誰もが喜べる」

と、毎年連続で思われたんです。

なので、今は、どうやって「客を喜ばそうか」ばっか考えている日々です。

芝居も、音楽も、ダンスも、

「それで客が喜ぶか?」

がダメ出しのラインなんです。

もちろん、予算との戦いもありますが、そのラインも

「ここまで削ってもちゃんと客へのサービスになっているか」
「ここまで金を使わなきゃ客へのサービスに繋がらない」

ってことで悩んでいます。

全て【客】です。

作演出 阿久根知昭


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