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ラジオドラマ「月のしらべと陽のひびき」のヒント

久しぶりの、おおつかです。

ラジオドラマ「月のしらべと陽のひびき」の企画のヒントは、
中国・西安へ旅行にいったときのことだなあ、と思い出したので書いてみます。

2006年の夏。そのときの旅行の目的地は、もっと西にある敦煌(とんこう)。
中国の歴史上、忘れることができない貿易拠点です。

島国日本と違って大陸は陸続きなわけで、中国民族は考えたわけですね。
「そうだ、西に行けば、もっとお金になる貿易品が手に入るかも?」

西安(当時は長安といわれていた)という町は、ある意味、
そのときの中国としての西の端ともいえるのかもしれません。

敦煌は、大切な貿易ルートの拠点だったと考えられます。
シルクロードの分岐点としても有名ですね。

で、現在の西安は実際に行ってみると、肥沃な大地の上にたつ町、というイメージ(あくまでもイメージです)でした。
それに対し敦煌は、まさに砂漠の中の町。
乾燥しまくりでした。
海抜1138m。人口約15万人。
年間降雨量39,9mmの砂漠性気候のオアシス都市です。
有名なゴビ砂漠の真っ只中に位置します。

ところが、そんな砂漠の町なのに現代では、水が豊富なのです。
先人たちの知恵のおかげで、灌漑用水がうまく機能しているのですね。

ここでの素直な感想は「中国民族おそるべし!」
考え方が半端じゃないです。

そういえば、孫悟空でおなじみの西遊記にでてくる三蔵法師も、この敦煌を経由して天竺(インド)まで行っています。
歴史上、有名な三蔵法師も行きは許可のない旅だったため、関門(関所)を通れないので、ずっと迂回して行ったとか。コソコソと・・・?
それに対して帰ってくるときは、堂々と関門を通ることができたのです。
つまり、帰りは高名なお坊さんになっていたし、たくさんの経典を持ち帰ったので、
いわば英雄あつかいだったのですね。

この敦煌近郊の玉門関(ぎょくもんかん)という関門(関所)の原型は残っており、
土と岩で作られた立方体の砦みたいな建造物でした。

驚いたことに、このそばにも「万里の長城」の端くれが残っていたのです。
高さ3?4メートル。
中にワラと土とを交互に固めて作った塀みたいなもので、
とても万里の長城のイメージとはほど遠いものでしたが、造られたのは約2000年以上前のこと。

しかし、こんな西の端にまで長城を築いてしまった、中国の歴史。
すさまじいものがあります。
その背景には「匈奴(きょうど)」の恐怖があったからのようです。


あああ、なんだかだらだらと長くなってしまいました。
おまけに、この旅行の写真が1枚もみつかりません。

続きは、いずれ、また。

おおつか

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