2016年7月アーカイブ

2016年7月31日「新しい出発」

今、国際宇宙ステーションでは大西卓也宇宙飛行士が長期滞在のミッションに取組んでいますが、かつて91歳で宇宙食に挑戦したのが日清食品の創業者、安藤百福氏です。
毛利衛氏と対談した際に、日本人宇宙飛行士が食べたいラーメンが宇宙食には不適合とNASAで却下されていると聞いたのがきっかけでした。

安藤氏は早速プロジェクトチームを結成。
無重力でいかにラーメンを食べるのか、宇宙への挑戦が始まります。

まず麺の乾燥方法には、安藤氏が誕生させた世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」の「瞬間油熱乾燥法」を採用。
スペースシャトルで可能な70℃のお湯で湯戻しができて、さらに食べるときに麺が飛び散らないよう、ひと口大の塊を保持する形状記憶麺を開発し、スープは麺にからませるなど工夫に工夫を重ね、ついに宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が完成。
NASAの認定を受けると、2005年7月スペースシャトル「ディスカバリー」に搭載され、野口聡一宇宙飛行士が宇宙で初めてラーメンを食べたのです。

このとき安藤氏は95歳。
生涯現役を貫き「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」という言葉を実践した人生でした。
それは後に続く私達への力強いエールとなっています。

2016年7月24日「アルプス交響曲」

夏山登山のシーズンです。
クラシック音楽に登山者の目を通してアルプスの大自然を描いた曲があります。
リヒャルト・シュトラウス作曲の『アルプス交響曲』。
日の出・登山口・花咲く草原・山の牧場・頂上にて、と、一日の登山の流れを追うように情景音楽が続く60分余りの大作です。

この中に、下山途中に嵐となって雷が鳴るという場面があります。
クラシック音楽の世界では、ビバルディが『四季』の中で弦楽器を使って、ベートーベンが交響曲6番『田園』の中でティンパニーを打ち鳴らして雷を表現しています。

ところがリヒャルト・シュトラウスは通常の楽器では飽き足らず、サンダーマシンという楽器を考案。
縦3m・横1mほどの巨大な鉄板をバーに吊り下げたもので、その鉄板を打楽器奏者が両手で揺さぶったり叩いたりして、「ドドドド!」「グワーン!」といった迫力ある音を出します。
オーケストラが『アルプス交響曲』を演奏する場合は、この特殊な楽器・サンダーマシンを特注することが決まり事になっていました。

あるコンサートホールで『アルプス交響曲』を演奏中、サンダーマシンを操る演奏者の勢いが余って、吊り下げた鉄板がバーから外れて床に落下。
「ガッシャーン!」と大音響を上げたそうです。
その瞬間、ホールの聴衆全員がきっとこう思ったでしょう・・・「雷が落ちた!!」

2016年7月17日「オクラホマスキー」

1975年のきょう7月17日、米国の宇宙船アポロ18号と旧ソ連のソユーズ19号が宇宙でドッキングに成功。
それまで米ソの宇宙開発競争は熾烈を極めてきましたが、この協同ミッションを行ったことによって、対立して競争する時代から、手を取り合って宇宙開発協力をする時代が始まったのです。

じつは、この歴史的瞬間に先立って、宇宙で初めて両国の人間が出会うときはお互い相手国の言葉を使って挨拶をしようという取り決めがありました。
それは、冷戦状態でお互いに接触する機会が全くなく、その緊張関係を和らげるための提案だったのです。
そこでアポロの乗組員たちは事前にロシア語を学び、ソユーズの乗組員たちは英語を学んできました。

さて、二つの宇宙船は大西洋の上空、高度2万キロの宇宙空間でドッキングに成功。
3時間後にアポロ先端部のハッチが開けられ、二人の乗組員が船内を遊泳しながらソユーズに乗り移りました。

「やあ、会えて嬉しいよ」
皆が流暢な英語とロシア語を使いました。
ただ、アメリカ側の乗組員の一人が強いオクラホマ訛りでロシア語を話したため、ソ連側の乗組員がこう言いました。
「この船では三つの言語が飛び交っている。ロシア語と英語と、もう一つはオクラホマスキーだ」

このジョークで、米ソの宇宙飛行士たちはいっきに親しくなったそうです。

2016年7月10日「幻のナイター大相撲」

昭和8年のきょう7月10日、神奈川県の戸塚球場に照明設備が設置され、日本で初めて夜間の試合が開催されました。
これを機に全国の野球場や陸上競技場に照明設備が出来、夜間に行うスポーツをナイター、またはナイトゲームと呼ぶようになりました。

じつは大相撲でもナイターで本場所を行ったことがあります。
昭和30年の九月場所。通常より2時間ほど遅く始まり、結びの一番の打ち出しが夜8時という設定です。
これは、平日は勤めで観戦できないビジネスマンたちのために、会社帰りにゆっくり観戦してもらおうという配慮から始めた実験でした。

すると、会社勤めの大勢の相撲ファンが連日国技館に押し寄せたのです。
手応え十分。相撲のナイターはいける!...と思いきや、肝心の力士たちがいけません。
江戸時代から続く伝統が身に沁みこんでいる力士にとって、相撲を取る時間が変わることは簡単なことではなく、場所中に体調を崩す力士が続出。
途中休場する者も出ました。
おまけに11日目の土俵では、横綱・千代の山と関脇・若ノ花が17分15秒という大相撲史上最長の取り組みを演じ、打ち出しが夜8時半になってしまったのです。

当時の新聞事情ではこの時刻の出来事を翌日の朝刊で伝えることは不可能。
結局、1場所限りでナイター大相撲は終わったのでした。

2016年7月3日「ドジソン先生の童話」

1865年7月4日、イギリスで『不思議の国のアリス』が出版されました。
少女アリスが不思議の国に迷い込んで奇想天外なキャラクターたちと出会う物語は、児童文学の新しい地平を切り開いた作品として評判を呼びます。

作者はルイス・キャロル。
近所に住む幼い娘アリスにせがまれ、ちょっとした話を考えついては語り聞かせていったのが『不思議の国のアリス』のルーツです。

そんなルイス・キャロルは、プロの作家ではありません。
本名はチャールズ・ドジソン。
じつはオックスフォード大学で数学の講師を務める数学者・論理学者です。
彼の講義は明快で分かりやすく、おまけに数字のクイズやパズルを交えるなど、真面目な授業を楽しく味付けすることで人気を集めていました。

そんなドジソンはルイス・キャロル名義で『不思議の国のアリス』の他に3つの童話を出版しますが、それ以上に幾何学や代数学、論理学などの論文や専門書を数多く出版しています。

ある日、『不思議の国のアリス』の熱心な読者の一人だったヴィクトリア女王がこの本をとても気に入り、こう言います。
「キャロル氏の次の本を送っておくれ」。

次の本がすぐにバッキンガム宮殿に届けられたのですが、その本のタイトルは『行列式の初等理論』。
ヴィクトリア女王は喜ばなかったそうです。

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