2016年6月アーカイブ

2016年6月26日「米百万石の収穫を夢見て」

今年も田んぼに初々しい稲の緑が広がっていますが、明治時代の北海道で懸命に米作りに取り組んだのが中山久蔵でした。

当時、北海道南部では僅かに米が作られていたものの、それ以外では稲作は不可能とされていました。
しかし明治4年に開拓民として入植した久蔵は、現在の北広島市に水田を開墾して稲作を開始。
厳しい寒さに阻まれ苦難の連続でしたが、久蔵は苗を発芽させるために風呂の湯を徹夜で水田に流し入れたり、川から田んぼまでの水路をジグザグに作り、冷たい水が日光で温まるようにするなど懸命の工夫と努力を粘り強く重ねて、ついに米の収穫に成功。
明治10年の第1回内国勧業博覧会では久蔵の米が表彰を受けるという快挙を成し遂げるのです。

また久蔵は寒さに強い品種を育てて種籾を増やしては農村を訪ね歩き、それを開拓民に無償で配って稲作の指導を行ったのです。

「米百万石の収穫を見ないうちは死ねない」と、固い決意と不屈の精神で米作りに挑戦した久蔵は大正8年に91歳で亡くなりますが、「北海道米百万石祝賀会」が札幌で開催されたのは、その翌年のことでした。

今日、米の収穫量で新潟と日本一を争うほどになった北海道で、中山久蔵は「北海道稲作の父」と讃えられています。

2016年6月19日「早慶戦こと始め」

早稲田大学と慶応義塾大学の野球試合「早慶戦」。
この言葉は他の大学にはない特別感があって世の中に知られています。
それは、早慶戦こそが現在の野球界発展の礎だからです。

始まりは明治36年。
発足して間もない早稲田の野球部から3人の学生が、9年早く発足した先輩格の慶応野球部に赴いて、挑戦状を差し出したのです。
この挑戦に慶応が応じて3000人の観衆を集めた試合は、11対9で慶応の勝利。
先輩格を見せつけた慶応ですが、大いに善戦した早稲田を評価し、翌年から両校で定期試合を行なうことにしました。

その翌年、とんでもないことが起こります。
野球チームが少ない当時、日本最強といわれた東京大学の前身・旧制一高の野球部に早稲田・慶応が立て続けに勝利。
その後に行なわれる早稲田対慶応の試合は、日本野球の頂点を争う試合として全国民から注目を集めました。

試合は13対7で早稲田が勝利して一年前の雪辱を果たしました。
そしてその年から早稲田と慶応の試合はスホ?ーツ界最大の行事となり、新聞の見出しに踊る「早慶戦」という言い方が全国に広まっていったのです。

ちなみに、慶応側では頑なに「早慶戦ではなく慶早戦だ」と主張していましたが、世の中に定着しませんでした。この勝負は早稲田の勝ちです。

2016年6月12日「死んでもライバル」

19世紀英国ロマン主義の巨匠 ウィリアム・ターナー。
作品の大半が風景を描いたもので、風景画という新しいジャンルをつくった一人です。

同じ時代に活躍したもうひとりの風景画の大家にジョン・コンスタブルがいます。ターナーはこのコンスタブルに対してライバル視、というより敵愾心を抱いていました。
ターナーは生涯独身であちこち外国旅行をしましたが、コンスタブルは妻と7人の子どもに囲まれた田舎暮らし。
そんなコンスタブルにターナーは「結婚している画家なんて嫌いだ。うまく絵が描けない理由を家庭のせいにするからね」などと発言しています。

有名なエピソードは展覧会。
当時は一般公開の前日に画家が出品作品を手直しする風習がありました。
2人の作品が隣り合わせで展示され、コンスタブルが橙色の絵の具で自分の作品を手直し。
その姿をじっと眺めたターナーは、隣の自分の作品にコンスタブルよりもっと鮮やかな赤絵の具で一筆描き足し、「ふん」とでも言うように出て行ったのです。ターナーはこのような子どもっぽさで、ことあるごとにコンスタブルを挑発したそうです。

コンスタブルは61歳で亡くなり、ロンドンに功績を讃える記念碑が設置されます。死ぬことでやっとターナーの挑発から解放されたわけですが、気の毒なことに、その14年後、彼の隣にやってきたのはターナーの記念碑でした。

2016年6月5日「もったいない」

きょう6月5日は環境の日。
1972年6月5日からストックホルムで開催された国連人間環境会議を記念して定められました。

地球の自然を守って環境にやさしい暮らしをする取組みで「3R活動」という言葉があります。
ゴミを減らすReduce、繰り返し使う、再利用を意味するReuse。そして再資源化するRecycle。Rの頭文字で始まる3つの取組みで省エネ社会をつくろうとするものです。
この3R活動の内容を、たったひとことの簡単な言葉で表す日本語がありました。発見したのはケニアの女性、ワンガリ・マータイさん。
人権や環境に対する長年の貢献が評価され、2004年にノーベル平和賞を受賞した人です。

2005年に来日した彼女が教わった日本語の中で最も感銘したのは、「もったいない」という言葉。
「もったいない」にはゴミ削減、再利用、再資源化という3R活動のすべての精神が含まれ、おまけにもうひとつのR、地球に対する「Respect=尊敬の念」も込められていることを知った彼女は、この言葉こそ地球環境を守るキーワードだと確信したのです。

マータイさんはこの美しい日本語を、環境を守る世界共通語として広めることを提唱。
現在、地球環境に負担をかけない地球に優しいライフスタイルを広め、持続可能な循環型社会の構築をめざす合言葉「MOTTAINAI」が世界共通語として広がっています。

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