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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年6月19日「早慶戦こと始め」

早稲田大学と慶応義塾大学の野球試合「早慶戦」。
この言葉は他の大学にはない特別感があって世の中に知られています。
それは、早慶戦こそが現在の野球界発展の礎だからです。

始まりは明治36年。
発足して間もない早稲田の野球部から3人の学生が、9年早く発足した先輩格の慶応野球部に赴いて、挑戦状を差し出したのです。
この挑戦に慶応が応じて3000人の観衆を集めた試合は、11対9で慶応の勝利。
先輩格を見せつけた慶応ですが、大いに善戦した早稲田を評価し、翌年から両校で定期試合を行なうことにしました。

その翌年、とんでもないことが起こります。
野球チームが少ない当時、日本最強といわれた東京大学の前身・旧制一高の野球部に早稲田・慶応が立て続けに勝利。
その後に行なわれる早稲田対慶応の試合は、日本野球の頂点を争う試合として全国民から注目を集めました。

試合は13対7で早稲田が勝利して一年前の雪辱を果たしました。
そしてその年から早稲田と慶応の試合はスホ?ーツ界最大の行事となり、新聞の見出しに踊る「早慶戦」という言い方が全国に広まっていったのです。

ちなみに、慶応側では頑なに「早慶戦ではなく慶早戦だ」と主張していましたが、世の中に定着しませんでした。この勝負は早稲田の勝ちです。