2006年4月アーカイブ

4/30放送分 「おもちゃドクター」

昨日から始まったゴールデンウィーク。実は同じ期間、4月29日から5月5日までは「おもちゃ週間」でもあります。
昭和21年、食べるのさえ事欠く戦後の日本で、女性代議士が全国からの署名を携えて「子供に玩具を与えよ」とい請願書を国会に提出したことに由来して制定されたそうです。
そんな時代に比べると、現代はありとあらゆるおもちゃが世の中に溢れ返っています。子供たちにとって幸せな時代になったと言えますが、いっぽうでは、遊び飽きたり壊れたりすると、すぐに使い捨てられてしまうことも珍しくありません。本来おもちゃとは、子供が初めて出会う友だちのような存在。ほかの品物のように、“消費する”ものとは違うような気もします。そうした思いから、壊れたおもちゃに新しい命を与えることに取り組んでいるのが、おもちゃ病院のドクターたちです。

全国に300人ほどいるおもちゃドクター。その多くは、さまざまな業界で長年培った専門技術を子どもたちのために役立てたいと、ボランティアで活動するシルバー世代です。壊れたおもちゃを大事そうに抱えて病院を訪ねてくる子どもたち。その不安げな眼差しを見ると、ドクターたちの心も、「修理」ではなく、「子どもたちの大切な友達の命を救う」という気持ちになるそうです。
そう、「壊れたおもちゃ」ではなく「患者さん」。たとえば、東京の大きなおもちゃ病院には毎日20人ほどの患者さんが訪れます。ドクターは30人。近ごろ主流の電子回路が組み込まれた患者さんも最新医療機器を使って治療。難病の場合はドクター全員で会議を開き、治療方針を立ててチームで大手術をする…といった感じです。
彼らドクターの一番の喜びは、患者さんを退院させて、再び持ち主である子どもの手に渡したとき。目を輝かせて喜ぶ子どもの姿は、命あるものを慈しむ人間の純粋無垢な心を見ているようだといいます。
そして、そんな子どもたちの姿が、逆にシルバー世代のおもちゃドクターたちにも元気を与えてくれるのです。

4/23放送分 「竹瓦かいわい路地裏散歩」

いよいよ今月から「長崎さるく博」が開幕しました。
「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶら歩き回る」こと。「さるく博」は、町全体をパビリオンとみなし、さまざまなコースをたどって長崎の魅力を再発見するという、日本で初めての「町歩き博覧会」です。でもじつは、九州にはこの町歩きを7年前に始めた所があるのです。それは大分県別府市。日本一の湯の町です。

きっかけは「竹瓦(たけがわら)温泉」という、明治時代から続く公衆温泉。 地域の人たちが文字どおり裸のおつきあいをしてきた社交場で、町のシンボル的存在でもありましたが、これを取り壊す話が持ち上がりました。
そこで地元の人たちが立ち上がり、歴史ある竹瓦温泉を自分たちの手で守ろうと、保存会を結成。温泉だけではなく、別府に残る貴重な建物や街並みも残したい。さらに、別府の魅力を観光客にも知ってほしい、という思いから生まれたのが、ウォーキングツアー「竹瓦かいわい路地裏散歩」です。
ボランティアガイドが楽しい語り口で案内してくれるのは、有名な観光スポットではありません。商店街から路地裏へ。路地裏から広場へ。そこには大正・昭和の面影を残す不思議な空間が広がっています。そして、湯の町・別府で暮らす人々の笑顔が咲いています。
この笑顔こそが最高のもてなし。別府の昔話や古い建物の由来などを語り合ううちに、地元の人と観光客がいつの間にかひとつの輪になっていきます。これまで観光には縁がなかった別府の普段着の世界。そこに潜んでいたのは、個性豊かな暮らしの文化や、そこで根を張って生きる魅力的な人々とのふれあいなのです。

取り壊し話から7年。竹瓦温泉は健在です。
そして、いま別府にはいくつものウォーキングツアーが開設され、地元の人と観光客の笑顔の輪を大きく広げています。

4/16放送分 「家族で世界一周旅行」

この春、福岡市在住の一家が1年間の世界一周旅行に旅立ちました。
久米美都子さん41歳、経営コンサルタント会社を営む47歳のご主人、10歳と8歳の息子さんの4人家族です。久米さんは、以前女ひとりで133日間の世界一周旅行に行きました。あれから12年。今度は家族4人での世界一周。しかも1年間。4人の個性も調整しながらの旅となりそうです。

家族は以前から、「いつか、世界一周旅行ができたらいいね」と夢を語っていました。その「いつか」が、この春になったきっかけは、ちょうど1年ほど前の福岡西方沖地震。いろんなものが壊れ、状況も変化し、時を同じくして、親しい人たちの死や病気を目の当たりにしました。「いつかじゃ行けないかもしれない。子供が中学生になったら、行動を共にするのも難しくなるかもしれない。行くなら今しかないかもしれない・・・。」そう思ったご主人は突然言ったそうです。「4人で行こう。世界一周旅行!」。びっくりした久米さんは、「えっ?お金は?子供たちの学校は?仕事は?」と戸惑いました。しかし、「人生をもっと前向きに明るく生きるための大きなチャンス」かもしれないと捉え決心したそうです。1年間休学することになる子供たちは、学校大好き、サッカー大好きでしたが大喜び。ひとり100万円予算の貧乏旅行。快適に旅すると3ヶ月はもたない予算。とにかく家族4人それぞれが、たくさんのことを見て聴いて、体と心でいろんなことを感じてきたいと旅立ちました。まずは、アメリカ・ロサンゼルス入り。その後は中南米、アフリカ、ヨーロッパ、アジアとまわり、1年後の4月に帰国予定。
帰国後は、子供の目線から見た世界の絵本「ボクらが出逢った素晴らしい世界の人たち」をテーマに世界の国々を紹介する本を出版することを目標にしています。子供が読めて、世界に興味を持ち、いろんな違いを受け入れていろんな人と仲良くなれる・・・そんな絵本を夢見ています。
旅立って1週間。今頃はメキシコの空の下でしょうか。それぞれの絵日記にはどんな光景とどんな想いが記されているか楽しみです。

4/9放送分 「全国初の公立中高一貫校」

今、中高一貫教育に少しずつ注目が集まっています。
全国の公立の中高一貫校は、現在46校。
その中で先頭をきったのは、12年前平成6年4月に開校した「宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校」です。高校受験がなく、のびのびと6年間過ごすことができることもあり、注目を集めました。中学受験といっても、学校調査書、面接、適正検査のみ。学力試験はありません。1学年1クラス、男女合わせて40人の6学年。200数十人の中高一貫の公立学校です。

五ヶ瀬町は、人口およそ5000人の町。南国宮崎で唯一雪が降り、1000mを超える山々がそびえたちます。中でも祇園山は、九州ではじめて海面上に陸地を現わした場所で、4億3000万年前の珊瑚の化石がでてきます。
学校では、この豊かな自然環境を活かし、感動と感性の教育に力を入れています。ワラジを履いての10キロの遠足、古い橋の構造の研究、生きたヤマメの採卵、地元の伝統芸能・神楽や太鼓の練習などユニークな学習が取り入れられています。
1年生から6年生の全員が、校舎の隣の寮で生活を共にします。部屋は二人部屋で、掃除や洗濯は勿論自分たちでします。ゲームや携帯電話の持ち込みは禁止、テレビも決められた時間しか見ることはできません。違う年齢の6人でひとつのファミリーをつくり、先輩が後輩の勉強や面倒を見て、先生がお父さんお母さん代わりに。入学したての頃はホームシックになる1年生を先輩が自分の体験談などを話し慰める姿も見られます。時には個性のぶつかり合いもありますが、その中で、「人間関係力」や、「自ら学ぶ意欲」が高まり、卒業生は国公立の有名大学など、塾へも行かずに合格しています。

今年も、あさって4/11、40人の生徒が、期待と少しの不安を胸に、入学式を迎えます。

4/2放送分 「生き残った桜」

私たちの心に深く染み込んでいる桜への思い。
今年も桜前線が日本列島を北上しています。岐阜県・奥飛騨の山々に囲まれた湖のほとりに、樹齢450年になる2本の桜の巨木がたたずんでいます。じつはこの桜の木、かつては湖の底で毎年満開の花を咲かせていたのです。合掌造りの家が建ち並ぶ荘川(しょうかわ)村。そこには、240戸1200人の住民が先祖代々の土地を大切に守りながら穏やかに暮らしていました。そこに降って湧いたのが、水力発電のダム建設。昭和30年代の日本にとって、国家発展のために一山村の暮らしを犠牲にすることは、やむを得ないことでした。
もうじき水没する村。人々が最後に別れを告げたのは、村のお寺の境内に建つ大きな桜の木でした。
赤ちゃんが母親の背中越しに見上げた桜の木・・・。小学生たちの格好の遊び場・・・。若いカップルにはデートの場所・・・。そして家族や隣近所が憩いの場として集まった桜の木・・・。村の人たちにとってこの桜の木は、一生を通して暮らしの中に存在した心のよりどころだったのです。そんな村人たちの気持ちを知って心を揺り動かされたのは、ダム建設を行う側の人たちでした。合わせて70トンにもなる2本の桜の木が丁寧に掘り起こされ、ダム工事に使われる鉄骨を組んだ巨大なソリに載せられ、3台のブルドーザーで4日をかけて山の斜面まで引き上げられたのです。湖の底に沈んだ村を見下ろすように植えられた桜の巨木。 10年後の春には、満開の花を咲かせました。その知らせを伝え聞いた、かつての荘川村の人たちが、全国から集まってきました。湖底に沈んだ古里に、もう帰ることはできません。でも、荘川桜と名付けられたこの2本の桜。その木の下が、いまは彼らの古里そのものなのです。

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