2006年3月アーカイブ

自分の夢を楽しみ、夢が次々に実現していくことを体感する。そして、他人(ひと)の夢も一緒に楽しみ、成功へのお手伝いをする倶楽部(くらぶ)。あなたも私も自分自身の夢を実現する。そしてそれをお互いに喜び合い、豊かで温かい祝福を与える倶楽部。名前は夢を楽しみ超えると書く「夢楽超倶楽部」。この倶楽部は、実はまだ稼動していなくて、夢の段階。
倶楽部を夢みているのは、今、福岡県内のある大学病院に入院している38歳の女性です。

膵臓がんと診断されて3ヶ月・・。病床から毎日ブログを書きながら倶楽部の構想を練っています。自分のからだにあるがん細胞を、自ら、ひらがなで
「がんこちゃん」と呼びかけ、体をさすりながら、「私がいなくなるとあなたも一緒にいなくなるのよ。だから、小さくなって宇宙のどこかに飛んでいかない?」と語りかけているそうです。同時に、「がんこちゃんのおかげでたくさんの人に再会できたのよ。ありがとう。」とも・・・。彼女の一番の夢は病気を克服すること・・・。結婚、離婚、うつ病・・。やっと元気になり、自分の目標を決め勉強に励んでいる最中、突然の病気の告知・・。
病室の彼女は、ひまわりの花のような笑顔で私を迎えてくれ、病気が治ること、「みんなが夢をお互いに楽しみ実現する倶楽部」をつくり会長になること。そしてもうひとつの夢を話してくれました。それは、本を出すこと。
タイトルは「39回目の夏?ありがとう、がんこちゃん?」
38歳の秋にわかったガンという病気。その気持ちを乗り超えて、39回目の誕生日の夏にその本を出版することだそうです。がんこちゃんのおかげで、たくさんの大切なことを実感し、たくさんの人に逢わせてくれた・・。がんこちゃんにも感謝したいと・・・。そのことを今執筆中だそうです。

彼女の夢を聴いていると、私の夢のひとつに「彼女の夢が実現すること」が加わりました・・・。

3/19放送分 「「へ」の字の木」

真っ青な空。
サンサンと降り注ぐ太陽。
大きくうねりをあげる太平洋の波。
南国にしか見る事ができない、パームツリーやソテツの木・・。
宮崎市シーガイアそばの海の近くに、力強い生命力をもつ「ソテツの木」が1本あります。強い海風と台風にやられたのか、真ん中から幹が折れ曲がり、頭は地面についています。まるで、ひらがなの「へ」、カタカナの「へ」のような形の木です。折れ曲がったところからは、新たな芽が出て小さなソテツの赤ちゃんが誕生しています。そして、地面についた頭からは、あざやかな緑生い茂る葉をつけています。「へ」の字に折れ曲がりながらも力強く生きている姿は、まるで人生を見るようです。

小さな子どもが、「へ」の字に曲がった木を見つけ、大騒ぎ。「あっ、木が曲がっている!でもこの木生きているよ!ひらがなの「へ」に見えるね。じゃ、への字の木だから、「へ」木ちゃん(へきちゃん)って呼ぼうよ!」への字に曲がったアーチをくぐりながら曲がった箇所をやさしく撫でる子ども・・・。そこに赤ちゃんソテツを見つけ、また感動した様子・・。その木の葉に、ポケットから出したキーホルダーを、まるでお守りにように結んでいました。
「また、会いにくるからね。へ木ちゃん(へきちゃん)・・・」
その子どもも、その小さな胸に、何かを感じたのでしょう・・。

たとえまっすぐ伸びずに挫折をしても、「ピンチはチャンス」。そこからあらたなチャンスが生まれ、あたらしい芽がでる。折れ曲がっても大地が支え葉は茂る・・・。くじけても誰かが支えてくれて花開く・・。
空に向かってのびる周りの木の中で、ただそこで力強く生きる木に敬意さえ表したくなりました。

(一ツ葉有料道路シーガイアそばのコーヒーハウスの駐車場にあります)

3/12放送分 「満月大作戦」

福岡県内のある住宅地の話です。
ほとんどが5?6年前に建てられた戸建ての、わりと新しい住宅地。
30数戸の町内会は町内会長、会計係、体育係の役員が先頭となり、地区をまとめていました。体育係は、毎年秋に行われる地区別対抗の運動会が主な係。住民の誰がどの競技に出るかを決め、運動会が終わると、地区にある小さな児童公園でバーベキューパーティを企画していました。運動会に参加した人も参加してない人も、準備ができると誘い合い、その地区の「コミュニケーション」は、「ノミュニケーション」から成り立っていたようです。
子供がいる家庭、ひとり暮らしの家庭、老夫婦だけの家庭など地区に住む人人の「顔」も様々。だけど自分たちが住む地域は自分たちで住みよくしていこうという気持ちは共通していたようです。その気持ちのあらわれが住民同士のあいさつ。学校やスポーツクラブに行く子供たちは、「いってきまぁす!」と元気よくあいさつし、それを地域の大人たちは「いってらっしゃい!」
と必ず言葉を返し、あたたかく見守っています。

ところが、ある時期、その地区に空き巣が入るようになりました。
どうやら空き巣は昼間ではなく、夜の留守宅に入っているようでした。
町内の役員を中心に地区の住民で話し合った結果、「泥棒は明るい所を好まない、明かりをつけて地区を明るくし、泥棒を近づけないようにしよう」ということになりました。一晩中門柱の明かりをつけても電気代は月に僅か10円足らずということでみんな賛成。ところで、その地区の家の門はみんな同じデザインです。門柱の明かりもみんな丸い形。明かりをつけると、まるで満月のようでした。名づけて「満月大作戦!」。それでは留守宅がすぐわかってしまうのでは?という心配がありましたが、かえって地区全体に明かりがつくと、留守宅も、周りの家庭が見守っている雰囲気になり、泥棒も以来入らなくなったそうです。
今夜も、その地区は「まぁるい満月」がいくつも輝いて、お互いがお互いを見守っていることでしょう・・・。

3/5放送分 「日記」

年の初めに「今年こそは日記をかくぞ」と意気込んでいた方もいらっしゃると思います。いかがですか?その後?続いていますか?
日記は自分自身の為に書き、「形のない自分の考え」を、「形のある言葉」にして冷静に判断する手段かもしれません。正直に、ありのままの「心の内」を書き、誰にも見られたくないもの。
それが、思春期には気の合う友達と交換日記をして、同じ思いや悩みを分かち合うようになる人もいます。特に女の子は親や他の人には見られないように鍵付きのノートをやりとりしていた人は多いはず。

最近は、インターネット上の日記;ブログが登場し、人気を集めているようです。自分の日記を掲載し、不特定多数の人に見てもらい、コメントももらえるシステム・・・。誰かから見てもらえるという存在欲求を満たし、楽しみにしてくれるという承認欲求もブログにはあるのかもしれません。

ある家族は、「家族交換日記」をつくっています。帰宅の遅い忙しい父親と、子供たち、夫婦をつなぐ日記になっているとか・・・。手書きの文字や絵で、その日その時の気分や感情が、「文字の奥」から伝わってくるそうです。
また、年齢を重ねて思秋期になると、自分自身の為に自分だけの日記を書く人が増えているように感じます。しかも「手書きの日記」です。手書きには、言葉以外の「風合い」があります。毎日の行動や家族への想い、自分の体や心のこと・・。それには生きている実感や感謝が綴られているのかもしれません。

あるドラマの中で「私は生きている証に日記を書いているの・・。」というセリフがありました。
生きている実感を味わう為、今日よりいい明日へ進む為、日記をつけて、1日をそして自分を振り返ることって大切なことかもしれません。

アーカイブ