教えて!コンシェルジュ!: 2014年7月アーカイブ | FM FUKUOKA
fmfukuoka

2014年7月アーカイブ

   テーマ「官兵衛 ゆかりの地 福岡」

  • Web Staff (2014年7月28日 14:30)

黒田官兵衛。軍師として、そして、日本の未来を見て、戦乱の世を治めた人物。
福岡を作った男、福岡と名付けた男・・・そして、日本を救った男として、
その魅力的な人物像は、大河ドラマ人気も相まって、今、様々なところで
取り上げられています。そこで、今回も、黒田官兵衛についてのお話しです。
コンシェルジュは、NPO法人福岡城市民の会 理事長の石井幸孝さんです。
福岡城市民の会→http://fukuokajokorokan.info/

今村「官兵衛が福岡に入ってきたのは何がきっかけだったんですか?」
石井理事長「信長が亡くなり、秀吉の軍師になった時です。
  秀吉は、天下を統一するために、中国地方から、九州へ入っていくんです。
  黒田官兵衛40歳の時なんですが、その九州へ入って来る時の総大将みたいな
  役割を担っていたのが、黒田官兵衛だったんです。
  そして、九州で起こる戦いを 一つ一つ治めていったんです。その功を認めて
  秀吉は、中津(当時の豊前の国)に領地を授けます。
  しかし、その前の九州平定の時に、博多でも戦いがあり、一面焼け野原になって
  しまうんです。しかし、博多は2000年も前から、チャイナタウンなんかもあって
  中国の商人と 日本人が一緒に商売を行っていた経済都市であり、博多商人が
  自由に商売などをしていた商業都市でもありました。そこが戦乱の中で1回
  壊滅したので、秀吉は、博多の復興をしようということで、博多の復興をする
  親分として、官兵衛を任命したんです。」

今村「へぇ。そうなんですか!!」
石井理事長「で、その復興するときに町割といって、例えば
  今の博多の道は碁盤目になっていて、山笠も流れがいくつかあるけども、
  そういう 街づくりをやっていくんですよ。これは秀吉と官兵衛が、福岡と言う街は、
  とても大切だと言う事を言っていたからです。
  その功を認められ、中津12万石の城主となるわけです。」
<町割>
まちわり_450.jpg
しかしながら、この時代あたりから、秀吉との関係もぎくしゃくしていくそうです。
その一つが、キリスト教です。キリスト教は、信長の時代から日本に入ってきていました。
官兵衛は、西洋文化としての「キリスト教」を崇拝し、冷静なクリスチャンとなるのです。
しかし、秀吉は、キリスト教に対して、禁教令を発布します。
官兵衛.jpgのサムネール画像
官兵衛は、他のキリシタン大名とは一線を画したクリスチャンで、他の大名が
武器などを宛てにしてクリスチャンになっていたのとは違い、自らの人生観や西洋文化としての
「キリスト教」を崇拝し、クリスチャンになったのではないか?と言う説もあります。

大分にいた頃、官兵衛から如水と名を変えて、家督も息子の長政に譲っています。
一線を退いた形になります。しかしながら、関ヶ原の戦いなどでも、陰から指揮を
取っていたと言われています。(黒田は徳川の東軍に付き、見事勝利を治めます)
官兵衛の予想に反し、この天下分け目の戦いは、半日で幕をおろすこととなります。

ここで、こんな有名なお話があります。
戦いから戻った長政。家康から大変褒められ、3度手を握って、長政がいてよかった、
と褒められた。その時官兵衛は、それはどちらの手だったかと長政に問います。
長政は右手だったと答えます。すると官兵衛は、その時 左手は何をしていた?と問うた
そうです。その時に家康をやってしまえば 天下が取れた!と言う話ですが・・・
これはあくまで作り事なのだそうです。
官兵衛は、ただただこの戦乱国家を終わらせたかっただけじゃないかと、石井さんは
考えていらっしゃいます。
官兵衛の息子 黒田長政
黒田長政_450.jpg
官兵衛は、家康の安定国家を、日本の戦乱を治めるための手段として望んでいたのだそう。
そのことは、息子の長政にも言い聞かせていたそうですよ。

              福岡城と黒田官兵衛
            福岡城_450.jpg

関ヶ原の功績を讃え、家康は黒田官兵衛と長政に筑前の国一国を与えます。
52万3千石です!!これは大大名と言われます。
福岡平野のちょっと小高い丘のようなところにお城を作りました。
中津の時からですが、3角形の形をしたお城を作っています。
しかしながら官兵衛はお城が完成する前に亡くなるのですが、このお城の地名はもともと
福崎と言われていますが、長政が先祖ゆかりの地名(岡山県福岡)をつけ
「福岡」となります。

福岡のシンボル「福岡城」を築くと、次に城下町を作ります。
しかし...他の城下町と一味違う城下町だったそうで、博多を壊さなかった。
昔からの商人を戻し、武士を住まわせずに、商人を住まわせました。
(ここは、西洋の都市でよく見られた構図です。)
博多と福岡 商人と武士を別の場所に住まわせ、年に一度は無礼講で、
商人をお城に招待する、という 今の「博多どんたく」のルーツも官兵衛によるもの
なのだと言います。

鎖国をした時でも、黒田藩は外交を絶やすことも無かったそうです。
大河ドラマで、この博多が舞台になりますが、このあたりの顔が描かれていると
もっと深く官兵衛を知ることができますよね!!

オンエア曲
カントリー・ロード/ジェイムス・テイラー
カヌー  / 奥田民生


             テーマ「軍師 官兵衛」

  • Web Staff (2014年7月28日 13:12)

今回のテーマは、今大河ドラマで 高視聴率をたたき出している、福岡県にも
ゆかりの深い、黒田官兵衛をピックアップしました。
黒田官兵衛の人となり、そして、何をした、何をしたかった人なのかを
2週に渡ってお送りしました。
黒田官兵衛について語って頂いたのは、NPO法人福岡城市民の会理事長の
石井幸孝さんです。
今村「NPO法人 福岡城市民の会って??」
石井理事長「福岡の街のど真ん中に大濠公園と舞鶴公園があると
  言いますが、実はあそこは福岡城だったんですよね?あそこは昔のまま、48万平米
  残っているんです。で、あそこは、1300年前に古代の迎賓館とも言える
  鴻臚館のあったところなんです。」


鴻臚館_450.jpg
鴻臚館とは・・・平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、
そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡が確認されているのが現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫館(つくしのむろつみ)」として初めて現れ、平安時代になって中国風の「鴻臚館」という名に変わった。7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされる。昭和62年(1987)、
平和台球場外野席改修の際、遺構の残存が発見され、翌年から発掘調査が始まった。展示館では遺構や大陸外交の歴史、交易品などが見られる。

石井理事長「官兵衛は、鴻臚館がそこにあったのを知っていて
  福岡城を築いたんだと思うんです。で、この福岡城が、このままではもったいない!
  と言う事で、復元整備をしたい。そして、もっと福岡市民がここを訪れてもらいたい!
  石垣だけしか残っていないので、みんながここにお城があった事を認識していない。
  このお城を、大いに活用していこうと活動しているのが、NPO法人福岡城市民の会
  なんです。」

  そして、福岡城をなんとかしよう!そして、その追い風となっているのが、
  黒田官兵衛です。黒田官兵衛と福岡の関係って??

官兵衛.jpg
石井理事長「官兵衛は、前半は中国地方で主に活躍して、
  後半に九州、福岡に舞台が回ってくるんですよ!で、彼を一言で言うと

             福岡を作った男なんですよ。 
  そして・・・
       福岡と言う名前を付けた男でもあるんですよ!

  それから、もう一つ言わせてもらえれば、
            日本という 国を救った男なんです。」

  黒田官兵衛を語る時に、最後の結論として、この3つだと
石井理事長は教えてくれました。

黒田官兵衛の生い立ちなどは、様々な資料がネットや文献で残っているので、
  そちらを調べてみて下さい。

石井理事長「軍師官兵衛と言いますが、それは前半までの事。
  で・・・官兵衛自身も天下を取りたかったんじゃないか?と言われてますが、
  彼の人生は50年かけて天下を取る為ではなく、200年、300年の日本の安定国家を
  作ることに懸けたんです。」
  
  当時からとても頭が良かったと言われる官兵衛は、文学にも精通していて、
  和歌や万葉集、歴史書なども読んでいたと言われ、文武両道の子供時代を
  送ったと言われます。
  また、大変人間性の強い人物でした。生涯奥さん1人で生涯一緒に暮らしました。

今村「とても現代人に近い感覚を持った官兵衛さん。性格は
  どんなだったと、石井さんは思われますか?」
石井理事長「非常に正義感の強い人物、また博愛で、
  当時には珍しい崇高な人物だったそうですよ。ですから、戦いも、血を流さないで
  戦いを収めると言う事を考えてました。」

また、毛利と織田の戦いの際には、織田側に付くことを勧めたり、そこから織田信長との
交流も始まっていきますが、そののち、本能寺の後は豊臣秀吉に助言し、2人の
天下人の陰になり サポートしていました。
また、福岡と言う地名も、幼少時代過ごし、黒田家が財を成していた土地が「ふくおか」だった
ことから、この地を「福岡」と名付けたとも言われています。
まさに、名付け親であり、福岡を再生した男なんです。

黒田官兵衛については 次回もお話をお伺いします。

今回のオンエア曲
この愛が届くように / ナラダ・マイケル・ヴォルデン
ララル  / 斉藤誠

  


  

  

  

  

  

  テーマ「キャラメル探求の道 キャラメルの魅力 」

  • Web Staff (2014年7月18日 14:45)

前回から、スイーツのお話し、特にキャラメルの魅力に関してのお話をお伺いしてます。
今回も、「キャラメランジュ」オーナーシェフの西村さんです。
西村さんのプロフィール→http://www.caramelange.jp/original.html

キャラメランジュ→http://www.caramelange.jp/

フランスでスイーツの修行に行き、フランスの食文化を学び、スイーツが食に深く
根付いている事を知った西村さん。
昔からの夢、何か商売をしたい。人と違う事をしたい、と言う事から、キャラメル専門店を
オープンさせます。(やはり最初は、同業者から、キャラメル1本では無理なのでは?
行き詰るぞ!などと言われたそうです。)

             キャラメルの基本
キャラメルの基本材料は「バター」「砂糖」「生クリーム」です。
作り方は、砂糖に火を入れて高温にして行って焦がしていく・・・大きな意味で言うと
キャラメルとは砂糖を焦がすと言う事になります。
なので、ここから柔らかいキャラメルを作るには、砂糖を焦がして、その中に
温めた生クリームを入れてバターを入れる・・・と言う工程です。
今村「じゃあ、柔らかさも変えられるし、いろんな味のキャラメルを
  作ることもできるんですね?だから色んな物につかっていらっしゃる、
  と言う事なんですね」

 そこで!キャラメランジュにある様々な商品を見てもらいましょう!
 塗りキャラメル→http://www.caramelange.jp/item/bin001ete/
 たくさんの人々にキャラメルを自由に楽しんでいただきたい、そんなキャラメル職人の
 魂を込めた キャラメルペーストです。

 塗りキャラメル(スティックタイプ)→http://www.caramelange.jp/item/nuri002/

 キャラメルチーズケーキ「キャラメランジュ」→http://www.caramelange.jp/category/2/
 店名を冠したひとくちサイズのチーズケーキです。クリームチーズをたっぷり使った
 濃厚なチーズケーキに、こだわりのほろ苦いキャラメルを合わせました。

 柔らかいたくさんの味がそろったキャラメル→http://www.caramelange.jp/category/1/

ペーストは、パンに塗ったり、果物に付けたり、飲み物に入れたり・・・様々な使い方が
あります。(お料理照りを出すためにもキャラメルって使われてるんですよ)

キャラメランジュのキャラメルは、舌にベとっとした感じが残らない、のど越しもさわやかな
キャラメルです。(本当に口当たりがソフトで、ちょっと今までのキャラメルとは
訳が違います!)
今村「これ、何でですか?」
西村さん「焦がし具合と配合のバランスがポイントです。」

他にも・・・
キャラメルのロールケーキ→http://www.caramelange.jp/item/roll001/

ふわふわのスポンジとミルキーな生クリームの間に、自家製ほろ苦キャラメルペーストを
サンドした太巻きロールケーキです。

その他→http://www.caramelange.jp/original2.html

とにかく、キャラメルの概念を超えた、美味しいキャラメルがそろっています!

キャラメルの魅力・・・分かって頂けましたか?

オンエア曲
愛をふたたび /  セリーヌ・ディオン
マイ・エバー・チェンジング・ムーンライト/スタイルカウンシル

   テーマ「スイーツから学ぶ フランスの食文化」

  • Web Staff (2014年7月18日 13:30)

皆さん、スイーツは・・・お好きですよね?
最近では、女性だけでなく、スイーツ男子と言う言葉があるように、
男性もスイーツ、お好きですよね?そこで今回のコンシェルジュ、テーマは・・・
      スイーツから学ぶ フランスの食文化

今回のコンシェルジュは、キャラメル専門店「キャラメランジュ」のオーナーシェフ、
西村さんにお越しいただきました。
西村さんがお勤めのキャラメランジュと言うお店は・・・?

西村さん「お店の名前キャラメランジュは造語です。
  キャラメルと、フランス語で天使を意味するアンジュを足してキャラメランジュです。
  そしてもう一つこの中にメランジュと言う言葉がありまして、
  これはフランス語で、混ぜるという意味が込められています。」

西村さん曰はく、お菓子屋さんのお仕事は「混ぜるに尽きる」。とにかく毎日何かを
混ぜているそうです。

確かに!クリームもそうだし、小麦粉もそうだし、大きなボールの中で何かを混ぜている
映像をよく目にしますもんね!!

しかし!しかしですよ!それにしても「キャラメル専門店」ってあまり目にしないような・・・

今村「もともと西村さんがお菓子職人になろうと思ったきっかけは
  何だったのですか?」
西村さん「何かお店をしたいなと漠然と思ってまして、
  例えばレストランとか・・・で、高校卒業して、調理師学校へ行きまして、とりあえず
  コックさんになろうと思ってました。」
お菓子を作る専門ではなく、調理師の専門学校へ通っていたそうです。
そして・・・
西村さん「その学校は1年だったので、すぐに就職の事を
  考えなくてはいけなくなったんです。どうしようか?となった中で、学校で
  和洋中デザートを習う中で、デザートはちょっと違うなと思っていたんです。
  例えばお魚料理だったら、魚がそのまま出てくるわけですよね。お肉だってそうです。
  ただ、お菓子に関しては、卵と砂糖と小麦粉を混ぜて型に入れて焼いたら
  全然違うものが出来る。型次第で色んな状態にもなるし、バラエティに富んだ
  仕上がりにもなりますし、他と違って、何かクリエイティブなんじゃないかと。
  もともと人と違った事がしたい、というのがあったんで、これは個性を
  出しやすいのかな?なんて思ってですね。」

 確かに、お菓子は素材から全く違うものが出来ますからね!
 でも、スイーツって、手間がかかるというか、分量通りに作らないと、とんでもない物が
 出来ますもんね!
西村さん「化学変化の世界なので、色々な素材が、
  加熱によって作用して出来るものなので、量りものだけをきっちりしておかないと
  自分の思うような味が出ないですよね。」

 だから、新作を作る時なんかは、じゃああとこれ何グラム足してみようか?と言う事を
 何回も繰り返して(試作して)、思い通りの味になるまでには、様々な試行錯誤が
 あるそうですよ!

        スイーツと言えば・・・フランス??
今村「じゃあ、スイーツと言えばフランス?と言う事なんですか?」
西村さん「いいえ。スイーツは世界中にあります。ドイツ菓子なんかは
  有名ですし、アラブの方に行ってもスイーツはあるんですよ。ちなみにアラブのお菓子は
  結構甘ったるいものが多いですよ。脳天に来るような パワフルな甘さですね!」
今村「じゃあ、色々ある中で、何でフランスに行こうと思ったんですか?」
西村さん「福岡のお店に就職して、そこがたまたまコッテコテの
  フランス菓子を作っていたわけではなくて、で、仕事しながらいろいろな事に
  興味を持つじゃないですか?色々な文献などを調べていくうちに、ルーツ的な事が
  フランスだったりイタリアだったりするので、で、フランス菓子にだんだんと興味を
  持ち出し、で、自分の基礎がしっかりしてきたところで、やっぱりそのルーツを
  見たいと思うわけですよ。で、行くしかないな!と!」

       ルーツをたどったフランス!自分の力で・・・
今村「じゃあ、どうやってフランスの店で修業をするんですか?」
西村さん「自分で辞書を調べて手紙を書きました。もちろん
  フランス語なんて出来ないです。僕が行きたいお店のフランス人の方は、
  福岡にお菓子の講習で来ていたことがあったので、どんなお菓子を作るか、などを
  知っていたんです。で、後は、人の紹介なども通して紹介してもらいました。
  手紙を出して、だいぶ待ったんですけど、ようやく場所(日本人が働く枠)が
  空いたよ、と連絡が来ました。」

 西村さんが最初に働いたお店は、フランスでも5本の指に入るような、チョコレート菓子が
 有名なパトロン(シェフのような意味)がいたお店でした。

          フランスの素材は力強い!
今村「日本とは違う、フランスの良さってどんなところでしたか?」
西村さん「まず素材が全然違いました!フランスは農業大国なので
  フルーツや野菜などが、物凄く力強い!香りが違うんですよ。鼻から入って来る
  感じですかね。」
今村「じゃあ、卵とか小麦粉とかは?」
西村さん「日本だと、大手の小麦粉何種類かをブレンドしながら
  使うって形になるんですけど、フランスでは、このパンにはこれ、このスポンジ系の物には
  これと、事細かにやってましたね。いろいろ種類があって、それもまた、力強かったです。」
今村「じゃあまったく同じように作っても、全く違う味になっていくという
  事なんですか?」
西村さん「そうですね。歴史が違いますからね。洋菓子が日本に
  入ってきて数十年なんで、フランスではそれ以前からやって来たことなんで、
  それでマイナーチェンジを繰り返しながら、伝統菓子も変わってきた中で、今がある
  と言う状態だったんで、何を食べても力強いんですよ!
  だから、焼き菓子を食べてもガツン!とくるものがあったんで、そういうものを
  日本でも作りたいと思ったんですよ。」

 2年間フランスで修業。7か月で1軒目の修行を終え、次は細工ものが得意なシェフの
 元へ行き、チョコレート細工や飴細工などを勉強しました。

           キャラメルとの出会い
西村さん「日本にもキャラメルの仕事はありましたから、知識は
  あったんです。でもフランスに渡ると、キャラメル味というのが食文化の中に根付いてまして」
今村「確かに、日本て、今でこそキャラメル味ってありますけど、
  昔はなかったですもんね。」
西村さん「僕が渡仏する前は、某有名コーヒーチェーン店もなかったので、
  コーヒーにキャラメルを入れるとかなかったですし、そんなのを知らないまま
  フランスへ行ったら、普通にコーヒーにキャラメル入れてましたから。
  もちろん紅茶にも、クリームにもキャラメル入ってました。
  パティスリーでも、ドーンと大きな鍋にキャラメルのペーストを炊きまして、
  それをアイスクリームに入れるとか、喫茶コーナーがあって、
  そこのドリンクに使うとか、ケーキのムースに使うとか、だいたいやってたんで。」

 フランスでは、キャラメル味のケーキは普通に置いてあるんだそうですよ。
 日本では、今でもあまりキャラメル味のケーキって珍しい方に入りますよね。

今村「じゃあ、その時にキャラメルでやっていこうと思ったんですか?」
西村さん「フランスにはコンフィズリーキャラメル(一個一個包装された
  キャラメル)があって、日本のよりもだいぶ柔らかいんですね。キャラメルムーって
  言うんですけど(ムーは柔らかい)それが高級パティスリーには大体5種類くらい
  店頭に置いてあって、で、そのキャラメルにもフルーツ味とか 色んな味が
  あったので、これは面白そうだな、と心の片隅では思ってました。」


 綺麗な格好をした紳士が 一人でパフェにがっつく!
今村「特に日本との食文化とのギャップってありました?」
西村さん「よく知られている話ですけど、フランス料理には
  砂糖は使いませんので、必ず食事にデザートがつくんですよね。
  そこで、きれいな身なりをした中年紳士が カフェで、パフェみたいなのを
  かぶりついてるとかですね、チョコレート屋さんでも、1個から買えて・・・
  (日本では、高級なチョコレートショップだと、そんな事出来ない雰囲気ですよね?)
  おじさんがチョコ一つ頂戴!と言って、ポンと口に入れて去っていく・・・という
  しゃれた光景がありましたね。」
  
            甘い物がフランスでは生活に根付いているんですよね。
 フランスは、食べ物への想いが強い国民なんだな、と西村さんは感じたそうです。

次回は、キャラメル1本でやっていこう!と思ったきっかけや、キャラメランジュの
美味しそうな商品を見ながら、さらにキャラメルの魅力に迫っていこうと思います。

今回のオンエア曲(西村さんリクエスト)
アイドルを探せ /  シルヴィ・ヴァルタン
シェリーに口づけ  / ミシェル・ポルナレフ

 
  
  


  


パーソナリティ


今村敦子

月別アーカイブ