この番組、様々な職業の方にお越し頂き、様々なお話をお伺いしています。
番組を通してですが、いろんな職業があるんだな、と実感してきました。
そして今回お迎えしたのは、絵本作家さんです。
絵本作家さんに初めてお会いしました。絵本作家という方がいらっしゃるのは
なんとなくですが分かります。でも実際お会いした事はありません。そこで、今週は、
その絵本作家さんからこんな事を学んでいこうと思います。
テーマは・・・生き抜く力を 身につける
最初は別の夢を持っていたが、ひょんな事から違う道に進み、そこで成功する、と言う話は
よく聴きます。しかし、それがどんなきっかけで、そして、どんな心境の変化で
違う道で頑張っていこうと思ったのか?そんなお話を聞いていきます。
今回のコンシェルジュは、地元福岡から日本のみならず海外でも大活躍しています。
絵本作家のよしながこうたくさんです。
18歳の時より作家活動を開始。個展をベースとした4年間の作家活動のすえ、
2002年上京。
イラストレーターとして国内外問わず活動。
2007年2月より拠点を福岡に戻し、兄妹ユニット『 STUDIO Edomacho』設立。
2010年4月、絵本をもっと頑張るため、再び拠点を東京に戻す。
『 イラスト:絵本 = 1:9 』の割合で活動中。
絵本出版を機に、読み聞かせも2007年6月より開始。
絵本をはじめ様々な活動をされています。
3歳になる前から(記憶にはないが、親が絵を取っておいてくれたので)絵を描き始めた
よしながこうたくさん。
小学校時代は、運動をするより鉛筆と落書き帳をもって、いろんな絵を描くことが
好きだったというよしながこうたくさん。
小さい頃から、絵を描く仕事を夢見ていました。
独特な絵のタッチ、色使いでいまや人気作家となったよしながこうたくさん。
今村「なぜ絵本作家になろうと思ったのですか?」
こうたくさん「最初は、絵本作家になろうとおもったわけじゃ
ないんです。絵を書く仕事がしたくって、イラストレーターと言う仕事があることさえ
知りませんでした。絵を描く仕事と言えば漫画化ぐらいしかないと思ってました。」
幼少の頃から絵を描くのが大好きで・・・
よしながこうたくさんのホームページでは5歳の時に描いた「バッタの絵」を見ることが
出来ます。
よしながこうたくさんホームページhttp://www.edomacho.com/koutaku/
5歳の子供が書くような絵ではなく、もはや大人の絵のようなリアルさがあります
大学時代(九州産業大学)の近くに、「漠(ばく)」と言うおしゃれなジャズ喫茶があり、
こうたくさんは「もてたい!」と言う一心で その喫茶店に出入りします。
こうたくさん「そこのマスターに年賀状を出すわけですよ。
自分のイラストが書かれた。それを見たマスターから、じつは天神にギャラリーを
持っているんだけど、個展を開かないか?と誘われたんです。」
もちろんこうたくさんは、「そんな事あるわけないやろ、ふかしやがって!」と思い、
二つ返事で、しかも勢いで「いいですよ!」と答えてしまうわけです。
こうたくさん「学校の先生にその事を言ったら、おいおい。
そこは何十年も続いている老舗のギャラリーで、君が個展を開くとなると、おそらく
最年少での個展になるぞ、とこう言われたわけです。ちょっとビビリましたけど
やってみようという事で、個展を開きました。」
個展を開くとOBの方などから、今度一緒にやらないか?などと誘われるようになり、
学生時代は、ほぼ個展などを開く為だけに 絵を描き続けた日々だったといいます。
その後、「東京で一旗挙げてきます!」と上京・・・
こうたくさん「いろんな仕事をしました。テレビのセットだったり、
クイズ問題のフリップを書いたり、トランス系のCDのジャケットなどいろいろ。」
こんな作品とか・・・
しかし、その特徴的な絵のタッチと、色使いは、日の目を見ることはなく、
アンダーグラウンドな世界で人気となっていくのです。・・・そうやって、イラストレーター
としても仕事がなくなっていったある日・・・
こうたくさん「知り合いから、絵本作家を探している出版社がある、
しかもそこは、今まで絵本を描いたことの無い人を探している。紹介しよう、と言って
紹介されたのが、長崎出版さんです。
それまでに手がけたいろんな作品を見せていたら、「給食セット」という
アルマイト食器のグッズのパッケージイラストが目に留まったようで、
絵本を描いてみませんか?と言われました。」
こうたくさんはそれまで、絵本は子供の読むもんだ!あまり読んだ記憶もないし、
描けないだろうな・・・と思っていましたが、こちらも勢いで快諾。しかし・・・
こうたくさん「何を書いていいかわからないから、しばらくボーっと
してたんです。そしたら、編集者の人が、僕の描いた絵で気に入ってくれた、
「給食セット」というアルマイト食器のグッズのパッケージイラストから、
こうたくさん、給食をテーマに絵本を描いてみませんか?そして、お兄さんは
番長でしたよね?(こうたくさんのホームページなどを参照)なので、給食番長って
言うのはどうでしょう?と言われて生まれたのが給食番長です。
よしながこうたくさんのデビュー作にしてヒット作の「給食番長」
絵本の描き方
絵本のイロハも知らないこうたくさん。まず、ご自分の過去の経験を
思い出していったそうです。
食べ残しは良くない・・・おばあちゃんが浄土真宗のお寺の方だったので、
昔良く読んでいた本で、ウソをつくと、こんな地獄に落ちる・・・と言う漫画を毎日のように
読んでいたそうです。
こうたくさん「ご飯を食べようとすると、そのご飯がお茶碗ごと
灰になってしまって 食べられない、そう言う地獄があったんです。」
これは使えるな!!と・・・そして、給食の時のあるエピソードを思い出します。
こうたくさん「ご飯粒をお茶碗にのこすじゃないですか?そうすると
先生が、こうたくくん。お米の一粒には 神様が40人もいて、残したら、その神様が
悲しむばい!!と言われていたそうです。こうたくさんは、それを聞いて、
お米に、うじゃうじゃと神様が宿っている所を想像して、怖くなって、気持ち悪くなって
全部食べていた、と言う、ある種トラウマ的な経験を思い出します。
でも実際は、40人もいなくって、これは歴史にもなってますが、お米の一粒には
7人の神様が宿っているそうです。よし、これも使えると・・・」
こうたくさんは、昔は「ある種のおどし」で、子供に教育していたと思うんです。
若干トラウマになるくらいの。だから、その・・・怖い本にしようと思ったんです。
そう、最後に番長が 皆を食べてしまう・・・と言う・・・
(絵本にも、人間を食べてしまう。と言うお話は多いですよね?そこにヒントを得て、
最後に番長が皆を食べてしまう。と言うお話にしようと思ったんだとか・・・)
しかし、絵本が出来上がる頃に、突然「ボツ」を喰らいまして・・・
こうたくさん「こんな本が売れるわけ無いじゃないの!と
突然言われたんです。ビックリしましたよ!で、もう絵本辞めようかな・・・と
思ったんです。でも、ここまでやったから、とりあえず 良くないところは削っていこうと
いう事になり、削っていったら、ただの給食は残さず食べましょう、と言う
普通の話になっちゃった。いちばんやりたくない方向に・・・。
なので、その中で、給食のおばちゃんを家出させてやれ!とかやってて、
どうにか こうにか完成していざ販売したら、これが大ヒット!だったんです。」
本屋さんの反応も様々・・・こんな絵本を待っていた!と言う方もいれば、
すぐに突っ返すかたもいたそうです。しかし・・・
当の子供たちが面白がって買って行ったそうなんです。親はナンデこんな本が?でも
子供が買うから、みたいな感じだったそうです。しかし、今では、様々な絵本をだす
作家さんになっています。
もし、今、イラストレーターを夢見て頑張っている方、こんな絵、見たことないよ、と
言われたら、それはもしかしたら、チャンスなのかもしれません。と、こうたくさんは
語っていました。
次回も、こうたくさんの作品のお話、絵本作家になって、気づかれた事など
お伺いしていきます。
オンエア曲
明日なき暴走 / ブルース・スプリングスティーン
大将 / 近藤真彦