2017年12月アーカイブ

2017年12月30日「鹿の踏切」

今年も各地で猿や猪が街中に出没し大きな問題となりましたが、鹿と列車の衝突事故が問題となっていたのが、大阪や京都・奈良、三重県などをエリアとする近畿日本鉄道でした。

鹿が線路に侵入しないよう様々な対策を講じましたが効果はなく、事故は年々増加する一方。
そこで鹿の実態調査を開始した近鉄社員の匹田さんは、事故が多発する区間では線路が鹿の生息地を分断していることや鉄分の補給で線路をなめる習性も確認。
さらに監視カメラに、母鹿と3頭の子鹿が線路を渡っていたところ、最後尾の子鹿がはねられ、それから長い時間、母鹿がその場を離れず倒れた子鹿をみつめ続けていた姿が映されていたのです。
事故撲滅への思いを強くした匹田さんに逆転の発想がひらめきます。
「鹿にも踏切があればいい」

考案されたのは、線路の両脇にネットを張り、数カ所にネットの無いところを作って、そこに動物が嫌う超音波を発する装置を設置し、終電の後は音波を止めて鹿を通すという仕組みでした。

この「シカ踏切」は絶大な効果をあげて事故は激減。
今年のグッドデザイン賞を受賞したのです。

野生動物の視点で考えることの大切さを教えてくれた鹿の踏切。
ともに生きるために、来年も逆転の発想が期待されます。

2017年12月23日「マイ・クリスマスツリー」

サッチモの愛称で知られるジャズマン:ルイ・アームストロング。
1942年の12月、彼はバンドを引き連れてコンサートツアーをしていました。
この旅に同行していたのが、ルイと結婚したばかりのルシール夫人。
新婚の二人は一緒にクリスマスを旅先で迎えることになります。

その日、ルシールはホテルの部屋にこっそり小さなクリスマス・ツリーを用意しました。夫ルイへのサプライズです。
目論みどおり、演奏を終えてホテルに帰ったルイは、ツリーを見て驚き、目を輝かせて子供のように喜びました。

それにしても、夜が更けてもルイはいつまでも寝ようとしません。
部屋のあちこちから小さなツリーをためつすがめつして眺めたり、ツリーの飾りにそっと触れてみたり...。
ベッドに入っても俯せで頬杖をつきながら、まるで赤ん坊のようにツリーの飾りに見入っているのです。
不思議に思ったルシールが「なぜいつまでも見ているの?」と尋ねました。
するとルイはこう言ったのです。
「だって、これは僕の生まれて初めてのクリスマス・ツリーなんだよ」

ルシールがサプライズで部屋に飾ったツリーは、極貧の家に生まれ、子供時代にクリスマスを祝うことなどなかったルイが、42歳にして初めて持ったマイ・クリスマスツリーだったのです。

このツリーは、ルイのバンドとともに一週間ほど旅をしたそうです。

2017年12月16日「発明家の娘」

生涯におよそ1300もの発明をしたトーマス・エジソンは24歳のときに結婚します。相手はエジソンの会社の従業員だった16歳のメアリ。
エジソンとの間に3人の子をもうけますが、エジソンがあまりにも発明に夢中でほとんど家に帰ってこないため、メアリは次第に心と体を病み亡くなってしまいます。

37歳になったエジソンが再婚した相手は、仕事仲間の娘で20歳のマイナ。
彼女へのプロポーズは言葉ではありませんでした。
マイナの手を取り、その掌に人差し指の先をトントンと叩いて、モールス信号で求婚したのです。
その場に先妻の娘が居合わせていたため、父であるエジソンは娘に気を遣って二人しか分からない会話をしたのでした。
この思いがけない行動に感動したマイナの返事は「イエス」。

しかし二度目の結婚生活も前回と同じ、発明に夢中なエジソンはまったく家庭を顧みません。
それどころか、エジソンが考え事をしているときに話しかけてきたマイナに向かって「あれ、きみは誰だっけ?」と言ってしまう始末。

妻の顔さえ忘れてしまうエジソンでしたが、マイナは平気でした。
先妻の3人の子とエジソンとの間に生まれた子を合わせ6人の子を育て上げ、84歳でエジソンが亡くなるまで添い遂げます。

その秘密はマイナの父親。
彼女の父もまた、エジソンと同じ発明家だったのです。

2017年12月9日「ホンモノはどれだ」

明日12月10日はノーベル賞の授賞式。
平和賞はノルウェーのオスロ、それ以外の部門はスウェーデンのストックホルムで行われます。
世界各地からスウェーデンにやって来た受賞者たちは国賓級のもてなしを受けます。

一週間の滞在中は受賞者一人一人に身の回りの世話をするスウェーデン政府職員が付き、宿泊先は最も格式が高い五つ星ホテルのVIPルーム。
ノーベル財団主催の晩餐会では、取材するマスコミも燕尾服着用というドレスコードがあります。
授賞式ではスウェーデン国王からメダルが一人一人に手渡され、翌日は国王が受賞者とその家族だけを宮殿に招いての晩餐会。
すべての行事が百年以上の伝統を持つ格調高いものなのです。

でも、堅苦しさだけではありません。
授賞後の日程ではメダルを持っていると邪魔なため、受賞者はいったんノーベル委員会にメダルを預け帰国する際に再び受け取るのですが、そのときに受賞者の前にメダルが3つ並べられます。
ひとつは本物のメダル、ひとつはレプリカ、そしてもうひとつはメダルの形をしたチョコレートを金紙で包んだもの。
「さあ、この中で本物はどれですか?」

ちょっとしたお遊びで、もちろんはずれても持って帰れるのですが、天下のノーベル賞受賞者たちは、結構喜んで真剣に本物探しをするそうです。

2017年12月2日「地球に向かって第一声」

平成2年のきょう12月2日、日本人初の宇宙飛行士が宇宙に飛び立ちました。
その人の名は秋山豊寛さん。
放送局に勤めるジャーナリストです。
この放送局が当時のソビエト連邦宇宙総局と協定を結び、宇宙ステーション・ミールを訪問する日本人として抜擢されたのです。

宇宙飛行士といえば、宇宙から地球に向けてコメントする第一声が注目されます。
たとえばガガーリンの「地球は青かった」。
アームストロングの「私にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩」。
秋山さんの次に宇宙に行った毛利衛さんの「宇宙から見ると地球に国境は見えません」。

秋山さんは打ち上げ1時間半後に周回軌道に乗ったとき「宇宙は混沌としています」とコメントしようとしていました。
ところがテレビの中継では正式のオンエアの前に回線を使って打ち合わせをするのが慣し。
地球から「秋山さん」と呼びかけられ、秋山さんは思わず「これ本番ですか?」と返してしまいます。
そしてこれを聞いた地球のアナウンサーが「いまのが秋山さんの第一声です」と言ったのでした。

日本人初の宇宙飛行士・秋山さんの第一声は「これ本番ですか?」
本当はもっと気の効いた台詞を用意していたのに...と悔やんだ秋山さんですが、後に「テレビ記者の私らしい、いい第一声だった」と振り返っています。

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