日本で初めて映画が公開されたのは明治29年11月25日のことですが、それから17年後の大正2年、アメリカの創成期のハリウッドで映画の主演を果たし、日本人初の国際女優となったのが青木鶴子でした。
実は鶴子は、博多出身で明治時代に活躍した新派劇の創始者 川上音二郎の姪で、明治32年、わずか9歳のときに川上一座とともに渡米して子役として舞台に立ちます。
ところが、一座は金を持ち逃げされるという不運に見舞われ困窮。
このときアメリカで画家として成功していた青木瓢斎が窮状を見かねて鶴子を養女に迎え、裕福な家庭の子女が通うとされるボーディングスクールに学ばせるなど、我子のように大切に育てたといわれます。
成長した鶴子は映画界に進み、当時の大物監督トーマス・インスに見いだされて24歳のときに「ツルさんの誓い」という作品で主演を務め、英語が堪能な着物姿の日本人女優として人気を博すのです。
まるで映画のストーリーのようなドラマチックな道を力強く歩んだ鶴子。
彼女に不幸をもたらしたかに見える音二郎も、幸運をもたらした瓢斎も、すべては鶴子の人生に欠かせぬ脇役でした。