2017年10月アーカイブ

2017年10月28日「親子を結ぶ読書」

戦国武将の肖像画といえば、多くが鎧兜姿の勇ましいものですが、福岡藩初代藩主 黒田長政は、膝元に十数冊の本が置かれたものが伝えられています。
長政は関ヶ原の戦いで東軍を勝利に導き、徳川家康から筑前52万石を拝領して大大名へと躍進しました。

その2年後に生まれたのが嫡男の忠之でしたが、大藩の藩主となり息子を持つ父となった長政は、勇猛果敢な武将から、読書家で教育熱心な父親という新たな姿を見せています。
長政の訓の中に読書に関するものがあり、儒学の四つの基本の書「四書」、中国の七つの兵法書「七書」、家族を結ぶ孝の精神を説いた「孝経」を声を出して読み、国の政治が正しく行われるよう学問を用いることが第一と説く一方で、多くの書を読み、知ったかぶりをするようでは「学問も邪魔になり候」と釘を刺しています。

幼い息子、忠之の教育係に送った手紙には、忠之にまずは「論語」と「和漢朗詠集」を読ませ、また兵法書の「六韜」より儒学の書「孟子」を読むことを優先すべきと命じるなど、徳川政権下で大藩の藩主を務めるために必要なものを見極め、息子に学ばせようとする親心が込められています。

昨日から読書週間が始まっていますが、子供に読ませたい、あなたの一冊は何ですか?

2017年10月21日「リンカーンのツケ」

アメリカ合衆国 第16代大統領エイブラハム・リンカーン。
少年時代は家が貧しかったため、学校教育をほとんど受けていません。
しかし寝食を惜しんで独学して弁護士となり、28歳でイリノイ州スプリングフィールドに法律事務所を開業します。
とはいっても、この町にやって来たときは寝る所もなく一文無しの状態。
それでも生活に必要なものを揃えようと雑貨店に入りました。

彼が選んだ雑貨一式を見て、年老いた店主は「ざっと17ドルだね」と告げました。でもリンカーンにはそれを支払う余裕がありません。
そこで彼はこう言いました。
「17ドルは安いとは思いますが、あいにくお金が足りません。僕はこの町で法律事務所を開きます。それが成功するまでツケにしてもらえれば助かります。でも失敗したら永遠に払えないことになります」
店主はあっけにとられましたが、青年の悪びれない率直な態度に好感を持ち、こう答えました。
「お客さん、店の2階に小さな物置部屋があるのだが、わしといっしょに暮らすのはいやかね?」
その言葉を聞くや、リンカーンは2階へ駆け上がり、それから顔を輝かせて戻ってきて、こう言ったのです。
「やっと引越し先が決まりました」

貧乏な青年リンカーンが大統領にまで上りつめた裏には、生来の話の巧みさ、そして、なぜか人を引きつけ信頼感を与える魅力があったのです。

2017年10月14日「片足無料」

「足の袋」と書いて足袋。
日本の伝統的な履物ですが、普段は着物を着ない現代の私たちにとって足袋は馴染みのないものになってしまいました。

足袋が一番売れたのは昭和10年。
2億5600万足が販売されたといいますから、すべての国民一人一人が2足の足袋を買っていたという計算になります。

そんな足袋の礎を築いたのが、大阪・堺の商人・辻本福松です。
明治の半ばまで足袋は職人が手縫いで作っていたため、1日に一人で3足作るのがやっと。値段も高く、庶民はおいそれと買うことができませんでした。
そこで辻本は、足袋を大量生産できれば安く提供することができると考え、苦労の末に足袋専用のミシンを発明したのです。

ミシンは爆発的に売れて、足袋はいっきに大量生産されるようになり、それを機に辻本自身も足袋メーカーを興すのですが、売り方も発明家らしい奇想天外なもの。
なんと左右で一足の足袋の片方だけを町中の家に投げ込んだのです。
片方を無料で贈ることで、残りの片方を買いに行けば客は半分の値段で足袋をそろえることができるというわけです。

この戦略が大当たり。
昭和10年に足袋が2億5600万足売れましたが、その4割が辻本の会社が製造したものでした。
そして現在も足袋を作り続け、全国に出荷しています。

電車や自動車などは走っているときに何かトラブルが発生すると、とりあえず緊急停車しますが、飛行機はそうはいきません。
飛行中の停車=墜落です。
そこで旅客機では同じ機能をもつ操縦系統や機器を複数搭載し、もし操縦系統にトラブルが発生すると瞬時に別の系統や機器に切り替わるシステムになっています。
コンピュータはじめ油圧系統も電気系統も2重3重のバックアップ。
それがダメな場合でも完全手動で操縦する系統も備えられ、安全に飛行できるのです。

このように故障や障害が発生した場合でも代替用のシステムや機器を幾重にも用意して瞬時に切り替えて機能を維持していくことを「冗長化」といいますが、大勢の乗客の命を運ぶ旅客機の冗長化はじつはシステムや機器だけではありません。

国際線などで長時間航行する旅客機に乗り組む機長と副操縦士は交代で食事を取りますが、その機内食は必ず別々のメニューを選ぶ決まりになっています。
たとえば機長が和食を選んだら、副操縦士はどんなに和食好きでも泣く泣く洋食を選ばなければなりません。
それは食中毒への配慮で、同じ食事をして二人ともダウンして操縦できなくなる危険性をなくすためです。

空の安全・安心をどこまでも追求する旅客機は、パイロットの食事にまで気を遣っているのです。

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