2016年3月アーカイブ

2016年3月27日「母の手紙」

東日本大震災から半年が過ぎた2011年9月。
宮城県の小学校3年生小野望美(のぞみ)さんのもとに届いた手紙に、父親をはじめ家族は驚きます。
津波にのまれて亡くなった母親の由美子さんからの手紙だったのです。

実は、望美さんが小学校入学のとき、購入したランドセルのメーカーの「タイムレター」というサービスに由美子さんが家族に内緒で応募していたのです。
それは、新1年生の子供に宛てて書かれた手紙を両親などから預かり、千日後に届けるというもので、由美子さんは、望美さんだけでなく、望美さんの兄と姉にも手紙を書いて同封していました。

望美さんへは「元気に学校に行っているだけで、お母さんはとても安心」。
反抗期の姉、好美(このみ)さんには「口ごたえをしながらもいっぱい手伝ってくれて、お母さんはとても、とても、とても感謝」。
兄の勝利(かつとし)さんへは「妹達に優しいお兄ちゃんになっているように」と、それぞれに母の思いが愛情あふれる言葉で綴られていました。

「この手紙は宝物。強くて優しい母を誇りに思う。一番の形見は私達だと思うと嬉しい」と語る子供達。
真新しいランドセル姿が初々しい季節を迎える今、感謝や愛情を伝えることの大切さを、ひとりの亡き母の手紙が、今改めて私達に語りかけます。

2016年3月20日「サクラに託した思い」

桜は多くの人々に愛でられ、喜びや癒しを与える自然からの贈り物。
いま、東北で新たな桜のスポットが増えています。
それは福島、宮城、岩手。

東日本大震災で犠牲になった人々を偲び、後世に伝えていくためと傷ついた人たちを元気づけるために、3年前からNPO法人が窓口となって募金を募り、地元の人たちの協力で被災地や仮設住宅地、集団移転地などに桜を植樹しているのです。
被災地でとくに植樹されたのは、津波の到達地点。
将来予測される大津波の際に避難の目標となって、住民の人々を守る役割を果たしてくれることを願ってのことです。

一方、太平洋の向こうの米国にも桜の新名所ができました。
オハイオ州デイトン。
この町には空軍基地があり、その基地の中に200本の桜が植樹されています。
じつは東日本大震災では、「トモダチ作戦」の多くの救援物資がこの空軍基地から日本に向かったのでした。
またデイトンの町の人たちからは3万ドルの義援金が寄せられています。
そのことへの感謝の気持ちから、デイトンで暮らす在米日本人が中心となって桜を植える財団を運営。
基地だけでなくデイトンの町のあちこちに合計1000本の桜を植える計画が進んでいるのです。

日本人の感謝の心を託した桜の花。日本の桜と同じくもうすぐ満開です。

2016年3月13日「冥王星の王子さま」

1930年のきょう3月13日、太陽系9番目の惑星となる冥王星が発見されました。発見したのは米国アリゾナ州の天文台で助手をしていた24歳の若者、クライド・トンボーです。

アリゾナの農家の息子として生まれたトンボーは小さな頃から星空を見るのが大好きで、将来は天文学者になるのが夢でした。
ところが高校生のとき、父の農場に大量の雹が降って作物が壊滅。
家はいっきに貧しくなり、大学進学を諦めざるを得ませんでした。

それでも彼は独学で星の勉強をし、父の農場に放置してあった古い農機具の部品で望遠鏡を自作して天体観測を始めるのです。
やがて、天文台に助手の仕事を見つけ働き始めます。
そして、冥王星を発見。
その功績によって奨学金をもらえることになったトンボーは、念願の大学入学を果たし、卒業後は、助手ではなく天文学の博士として、再び天文台に招かれたのでした。

2006年、天文学の国際会議で惑星の新しい定義が決まり、冥王星は惑星から除外されましたが、彼の功績が無になったわけではありません。
2015年、冥王星に初めて接近したNASAの無人探査機ニューホライズンズにはトンボーの遺灰が入ったカプセルが積まれています。
遺灰とはいえ、トンボーは人類史上もっとも冥王星に近い空間にいる宇宙パイロットになったのです。

私たちが暮らす地球をはじめ火星や水星などの惑星の他に、"小惑星"と呼ばれる小さな星が太陽の周りをたくさん回っています。

世界で初めて小惑星を発見したのは19世紀イタリアの天文台。
そして明治33年のきょう3月6日、日本人が初めて小惑星を発見しました。
発見したのは天文学者の平山信(ひらやままこと)。
彼は太陽の理論的な研究に力を注ぎ、世界の天文学会からも一目置かれる存在でした。

平山が発見した小惑星は2つ。
じつは小惑星の発見では、その星が太陽の周りを回る軌道を確定することが条件となるのですが、彼はその軌道の確定はできなかったため、正式な発見とはみなされませんでした。

平山が発見したはずの小惑星のひとつは2年後にフランスの天文学者が、もうひとつは12年後にドイツの天文学者が発見し、軌道も確定されます。
発見した星に名前を付ける権利は発見者自身にあります。
しかしフランスの天文学者もドイツの天文学者も、平山の天文学への功績に敬意を払って、命名権を彼に譲ったのでした。

平山が付けた名前は、小惑星番号498番「東京」、そして小惑星番号727番「ニッポニア」。
それから100年後、彼自身の名前が、月の裏側のクレーターのひとつに「ヒラヤマ」と名付けられています。

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