明治時代、近代化を図ることが急務だった日本で、数々の鉄道工事を指揮した明治政府の鉄道庁長官、井上勝は日本鉄道の父と呼ばれますが、実は、大農場誕生にも力を注ぎました。
始まりは明治21年のこと。
東北本線の工事視察のため盛岡を訪れ、岩手山山麓に広がる原野を見た井上は、鉄道敷設のために豊かな田や畑を数多く犠牲にしたことに思いを馳せ、原野を開拓して農場を拓きたいと願ったのです。
その思いに応えたのが、日本鉄道会社 副社長の小野義眞と三菱社 社長の岩崎彌之助でした。
こうして「小野・岩崎・井上」の三人の名字から「小岩井」と名付けられた農場が誕生するのです。
しかし、岩手山の原野は火山灰の地質に寒風が吹きつける荒地で、開拓は困難を極めます。それを支えたのは農場で働く人々でした。
当時の疲弊した農村の改革も目指した小岩井では、働く人々が家族と一緒に農場で暮らし、農場内には小学校まで作られたほどで、そうした取り組みの中で開拓は続けられ、やがて不毛の大地は緑豊かな大地へと生まれ変わったのです。それは井上に端を発した農業への志を受け継ぎ、不屈の精神でやり遂げた多くの人々の努力の結晶でした。
今、野に山に田畑に、私達の身近に輝く緑も、誰かの努力が支えているのです。