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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年4月3日「あんぱん事始め」

明治時代の流行語に「文明開化の7つ道具」というものがありました。
郵便・瓦斯灯・蒸気船・写真・軽気球・岡蒸気、そして残るひとつがあんぱん。西洋のパンが日本独自の菓子パンとなって、文明開化を代表する食べ物になったのです。

あんぱんを産み出したのは、木村安兵衛。
江戸幕府の下級武士でしたが、明治維新で職を失います。
そのとき安兵衛は52歳。当時としては隠居の身ですが、彼はこのとき西洋渡来のパンに出合い、持ち前のチャレンジ精神でパン屋を開業します。
しかし、パンは全然売れません。
当時の日本人にとって西洋のパンは珍奇な食べ物だったのです。

そこで彼は「日本人の舌に合うパンを作ろう」と考え、何度も失敗しながら試行錯誤します。その間、店は二度も火災にあって焼失。
それでもめげずに研究を重ね、ついに饅頭をヒントに麹と米で培養する酒種酵母菌を発明し、あんぱんが誕生したのです。

そのあんぱんに最初に目を付けたのは、山岡鉄舟。
明治天皇の侍従をしていた山岡は、その美味しさと安兵衛の真面目でひたむきな人柄を見込み、あんぱんを明治天皇へ献上するよう便宜を計らいました。

日本史の中で天皇が初めてあんぱんを口にしたのは、明治8年4月4日。
それを記念して明日4月4日は「あんぱんの日」です。