東日本大震災の「奇跡の一本松」は多くの人々に希望と感動を与えましたが、90年前の大正12年9月におきた関東大震災でも一本の木が希望の灯を灯しました。
甚大な被害をもたらした関東大震災で猛火に包まれた東京は三日間燃え続けて、7万人に及ぶ死者の多くが火災によって亡くなったといわれます。
都心は一面焼け野が原となりますが、現在の千代田区の一ツ橋の辺りで、なんと一本の銀杏の木が奇跡的に生き残っていたのです。
その姿は失意のどん底にいた人々に生きる希望と勇気を与えました。
ところが、その後の復興事業で切り倒されることになるのです。
それを知って「なんとか後世に残したい」と復興局の長官に訴えたのが、気象庁の前身にあたる中央気象台の台長、岡田武松(おかだ・たけまつ)氏でした。
そのお蔭で銀杏は保存が決まります。
若き日に「気象による災害を防ぎたい」と気象学者を志した岡田氏は、今日の天気予報の礎を築くなど「日本近代気象学の父」と称されますが、その訴えは「災害を風化させてはならない」というメッセージだったのではないでしょうか。
皇居・大手門のお濠端に植え替えられた銀杏は「震災いちょう」と呼ばれて都民に親しまれ、東京の銀杏の色づきを見る標本木として、今年も気象庁が観察を続けています。