2013年10月アーカイブ

10/27「どんぐりころころ どんぶりこ」

大正時代に誕生して以来、歌い継がれてきた「どんぐりころころ」。
池に落ちたどんぐりがどじょうに会って一緒に遊びますが、お山が恋しいと泣いてどじょうを困らせます。

作詞した青木存義(あおき・ながよし)は子供の頃、朝寝坊だったため、母親が庭の池にどじょうを放し、息子の自分が喜んで起きるよう工夫してくれた思い出を歌にしたといわれます。

ところで、池に落ちたどんぐりのその後が気になったことはありませんか?
実は2番までしかないこの歌の3番が 昭和の時代に誕生しています。

作曲家の岩河三郎(いわかわ・さぶろう)氏がこの歌を合唱曲用に編曲した際、「母親の愛情を表現したい」と創作したもので、それがいつしか広まり、なんと青木の母校でもある宮城県松島町(まつしままち)の松島第五小学校の子供達が平成の時代に歌い継いでいるのです。

小学校の現在の敷地は、広いお屋敷だったという青木の生家の跡地を青木家が寄贈したもので、敷地内には青木の両親のお墓も残されているといわれます。

気になる3番は
「どんぐりころころ泣いてたら 仲良し子リスがとんできて
落ち葉にくるんでおんぶして 急いでお山に連れてった」

子供達が歌うどんぐりのその後に、青木もお母さんもきっと喜んでいることでしょう。

10/20「対面販売のレジ係」

ある町に夫婦で営む小さな食料品店がありました。
ところが、近所に大手スーパーが開店すると、店の売上げが落ち込み、ついに夫婦は店を畳んでしまいました。
仕事を失った奥さんはパートに出ます。
パート先は、店を閉店に追いやった、あのスーパーのレジ係。
複雑な思いを胸に、それでも彼女は一生懸命に働きました。

半年も経った頃、不思議な現象が起きます。
彼女のレジに並ぶ買い物客の列が他のレジに比べて明らかに長いのです。
隣のレジが空いているのに、彼女のレジに並ぶ客が誰一人移っていかないこともあります。

なぜ彼女のレジだけ人気があるのか?
その訳を彼女自身わからなかったのですが、レジ前に立ったお年寄りの客が、こう言ったのです。
「私はね、あんたと話すのが楽しみで、ここに来るんだよ」

他の従業員は黙々とレジを打っていますが、彼女は一人一人の客の顔を見てにっこり微笑み、声をかけているのです。
それは、彼女が小さな食料品店を営んでいた時に、ごく当たり前にやっていた接客。
その習慣で無意識に声がけをしていたのです。

そのことに気づいた瞬間、彼女は胸がいっぱいになり、自分の店を閉店に追いやったスーパーで働いていることの蟠りが消えたそうです。

10/13「友情の新聞記事」

2020年オリンピックの開催地が半世紀ぶりに東京と決まり、日本でのオリンピックは4度目の開催となりました。
そのオリンピックで初めて金メダルを取った日本人は、1928年のアムステルダム大会に出場し、陸上・三段跳びで優勝した織田幹雄選手。
また、この競技で4位になった南部忠平選手が次のロス大会で優勝しています。
この二人の金メダリスト--織田幹雄と南部忠平は同じ大学の陸上部員とあって、お互いライバルとして競い合いながら、兄弟よりも仲がいいと言われるほど固い友情で結ばれていました。

大学を卒業した織田が全国紙の新聞社に入社すると、南部は別の新聞社に入社。
社会人としてもライバル関係になったわけです。
運動部の記者になった二人ですが、そのまま二人とも現役の陸上選手を続けていました。

二人は自分が出場する大会の記事を自分で書くということもあったようですが、そんな時には二人だけの特別な仕事のやり方がありました。

例えば南部が試合をしている時は、記者席にいる織田が自分の原稿を書くついでに南部の新聞社用の原稿も書いてしまうという力技。
逆に、織田が試合する時は南部が両方の原稿を書いて、試合から上がってきた織田に渡していたのです。

今の時代なら新聞記者としてあるまじき行為。
おおらかな時代ならではの二人の友情だったのです。

10/6「立ち見席」

交響曲『新世界より』で知られるドヴォルザーク。
ボヘミヤの伝統音楽を受け継いだ雄大で親しみやすい旋律が親しまれています。
ドヴォルザークその人も素朴で温厚な人柄で、母国チェコの国民から敬愛されていました。
ですが、ドヴォルザーク自身は、自分が有名人としてもてはやされることが苦手だったのです。

彼がチェコのブルノという町で自作の交響曲を指揮したときのこと。
昼間のリハーサルを終えて、夜の開演までの間に町の理髪店で散髪していました。
すると、その彼の隣にたまたま座った客が、この日のコンサートについて熱弁をふるいます。
「あの有名なドヴォルザークのコンサートですぞ。これは見逃すわけにはいきません。あなたもそう思うでしょ?」
その客は隣の紳士にも、ぜひとも急いでコンサートの切符を手に入れるように勧めたのです。
「早く手に入れないと、夕方になったら もう立ち見の席しか残っていませんよ」

理髪店の主人がその客に 「じつはこちらの方こそ・・・」
と言いかけるのを手で制した紳士、つまりドヴォルザーク本人は、ため息をつきながらこう答えたものです。

「おっしゃる通り。ドヴォルザークが指揮をするコンサートでは、私は決まって最後まで立っていなくちゃならないのです」。

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