昭和33年、宮城県の国立玉浦(たまうら)療養所の通称「玉浦ベッドスクール」に一羽の伝書鳩が迷い込みました。
そこは病気療養中の子供達が学んでいた学校で、伝書鳩の飼い主が東京(在住)だと分かると、子供達は弱ってしまった鳩を帰してやりたいと近くの仙台空港に相談します。
それを、仙台・東京間の定期航路の機長、麻田さんが快く引き受け、鳩は無事に届けられました。
これがきっかけで、子供達との交流が始まった麻田機長は、病気と闘う姿が心から離れず「いつか飛行機に乗せてあげたい」と考えるようになります。
しかし、それは簡単なことではありませんでした。
航空会社には、採算や安全の問題など様々なハードルがあったのです。
麻田機長は根気強く会社の説得を続け、ついに5年後の昭和38年、航空会社から学校へ招待状が届くと、子供達が待ち受ける仙台空港に、麻田機長が操縦する30人乗りの旅客機ダグラスDC-3が到着。
初めての飛行機に大喜びする子供達を乗せて、仙台上空を遊覧飛行したのです。
まだまだ飛行機に気軽に乗れなかった時代に、大空を飛ぶひとときは、日々病室のベッドで過ごす子供達への何よりの励ましでした。
その後、麻田機長は若くして亡くなりますが、没後40年近い歳月を経た平成18年、航空会社社員の有志がボランティアで同じように子供達を乗せメモリアルフライトを実現。
麻田機長の温かな思いは時を超えて受け継がれているのです。