長崎の町では、昭和30年代から40年代にかけ、「頓珍漢人形」と呼ばれる小さな素焼きの人形が土産店で売られていました。
それは手びねりで作られ、泥絵の具で色とりどりに彩色されたものですが、
一体一体の姿形が違い、泣いたり笑ったり怒ったりと、それぞれユーモラスな表情。
値段も30円から70円ほどと安く、観光客に人気がありました。
この人形を作ったのは、久保田馨(かおる)さん。
26歳のときに長崎市内にわずか2坪ほどの小さな工房を開き、人形作りを始めました。
「頓珍漢」という呼び名は、原爆を作ったり戦争をしたりする人間の
愚かさや悲しさを「頓珍漢」という言葉に託したもので、久保田さんは「平和を信じて人形を作っていく。
戦争を憎んで人形をおどけさせる。
頓珍漢は平和な国をつくる槌音(つちおと)」という言葉を記しています。
人形の人気を当て込んで東京のデパートから大々的に売り出したいといった話もありましたが、
久保田さんは一切応じず、長崎の土産物店だけに卸し、
自分の生活は苦しくとも、子どもでも気軽に買える安い値段で売ることにこだわり続けました。
彼は17年間で30万体もの頓珍漢人形を作りましたが、昭和45年、病に冒され死去。
42歳の若さでした。
久保田さんが亡くなった後、頓珍漢人形も途絶えてしまいました。
それまでに作られた30万体の人形も、
気軽に買える長崎土産として全国へ散らばっていったので、長崎からその姿は消えていきました。
それから30年以上の時を経た平成13年。
長崎市内の旧香港上海銀行長崎支店記念館の中に頓珍漢人形が常設展示されました。
それは、亡くなった久保田さんの平和への思いと幻の長崎土産となった人形の魅力を惜しむ人たちが、全国からおよそ800体の人形を探し出して集めたものでした。