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10/23「柔道のスポーツマンシップ」

47年前のきょう??昭和39年10月23日、
日本武道館の観客席は一瞬の静寂に包まれ、次いで大きなため息が響き渡りました。
東京オリンピック柔道・無差別級の決勝戦。
オランダのアントン・ヘーシング選手に日本の神永昭夫(かみながあきお)選手が破れた瞬間です。

この大会からオリンピックの正式競技になった柔道。
本家の日本が負けるわけにはいきません。
体重別の軽量級、中量級、重量級ではすべて金と期待どおりの結果。
それ以上に大きな期待がかかったのは無差別級です。
「柔よく剛を制す」・・・。相手の力を利用すれば小さい者でも大きな者を倒すことができる、
という柔道の極意は、無差別級でこそ発揮できるのです。
その重責を担って出場した神永選手は、日本柔道界のエース。
しかしその直前、彼は膝の靭帯を切ってしまいました。
その事実を隠して出場した決勝戦。
体格で遥かに勝るヘーシング選手を相手に神永選手は、
9分近く果敢に攻め続けましたが、最後はへーシング選手の巨体を活かした寝技に敗れ去りました。

その瞬間、神永選手を押さえ込んだヘーシング選手の右手が挙がりました。
勝利に興奮したオランダチームが駆け寄ろうとするのを止めるためです。

だれもが日本の柔道が負けたことを嘆く中、当の神永選手は悔し涙を流すこともなく、
「完敗でしたが、やるだけのことはやりました。
ヘーシンク選手は心技体を備えた立派な柔道家です」と淡々と語りました。

戦い終わって、表彰台の上でにこやかに健闘を讃えあい、固く握手する二人。
神永選手は試合に負けはしましたが、
それは日本の柔道が負けたのではなく、日本の柔道がスポーツとして国際化したという証なのです。