どこからともなくあらわれて、夏の終わりを知らせるように飛び始める 赤とんぼ。
「夕焼 小焼の あかとんぼ」
子供の頃に歌った赤とんぼの歌が懐かしく思い出されます。
実はこの歌には、作詞した三木露風の母を思う心が秘められているといわれます。
6歳の頃に両親が離婚した露風。
幼稚園から帰ってみると、母親がいなくなっていたという、突然の辛い別れでした。
その後は祖父母に育てられ、早くも16歳のときに
三木露風のペンネームで詩歌集(しいかしゅう)を発表、東京に上京しています。
このとき露風は母に手紙を書いています。
母親の「かた」は離婚後、帝国大学に学び、明治時代に看護婦となって自立。
その後再婚して新たな家庭を築いていました。
息子への返信の手紙には「汝(なんじ)の頬(ほお)を当てよ。妾(わらわ)はここにキスをせり」と書かれていました。
くちづけをした便箋に頬を当てて欲しいと願う母。
露風はひと目も気にせず涙したといわれます。
その後、露風は童謡の作詞家として活躍。
かたは市川房江などとともに女性の参政権を求め、婦人解放運動家として活動し92歳で亡くなります。
つきっきりで看病し最期を看取った露風は、その夜、かたの家族に願い出て、母の亡骸に添い寝したといわれます。
かたの墓石には、露風の筆(ふで)で「赤とんぼの母 ここに眠る」と刻まれています。
それからわずか2年後、露風は75歳で亡くなるのです。
まるで、急いで母の後を追いかけたかのような最期でした。