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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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8/1「星野村の火」

昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が落とされました。
その残り火が、福岡県八女市星野村で今も燃え続けています。

星野村に生まれた山本達雄(やまもとたつお)さんは、8月6日の朝、召集命令を受けて広島に向かっていました。
午前8時15分、原爆は一瞬で広島の町を焼き尽くします。
廃墟の町に入った山本さんは、広島市内で書店を営む叔父さんの安否を心配しました。
この叔父さんはかつて、幼くして父親を亡くした山本さんを我が子同様に育ててくれた人だったのです。

山本さんは、来る日も来る日も叔父さんを捜します。
焼けただれた遺体が山のように積んである場所にも足を向けましたが、ついに叔父さんをみつけることはできませんでした。

山本さんは、叔父さんの書店に立ちすくみ、灰の中でまだくすぶり続ける火を見つめながら、
「せめてこの残り火を、伯父さんの遺骨代わりに持って帰ろう」と決心。
お守り代わりに持ち歩いていたカイロにその火を移し、星野村まで大切に持ち帰りました。
その火は仏壇や火鉢に移され、20年以上もの間、山本家でひっそりと守られていました。

そして昭和41年、たまたまお茶の取材で星野村を訪れた新聞記者がその火のことを記事にし、
それがきっかけとなって星野村に平和の塔が建設され、原爆の残り火が移されました。

平成16年、山本さんは88歳の長寿を全うしてこの世を去りました。
星野村に残された平和の塔でいまも燃え続ける原爆の残り火は、
山本さんの遺志を継いで、戦争を知らない子どもたちに平和の尊さを訴えています。