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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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8/15「ポーランド孤児たちの“アリガトウ”」

1900年代初め、シベリアは、ロシアからの独立を目指すポーランド人が、
反乱を起こした罪として送られる流刑地でした。

1918年、ポーランドは念願の独立を果たしたものの、翌年にはロシアとの戦争が始まり、
シベリアに残された人々は祖国に帰るルートを絶たれてしまいます。
せめて子どもたちだけでも救いたい、とポーランドは欧米諸国に援助を求めますが、
ことごとく拒否され、最後に救いを求めたのが日本でした。

日本政府から要請を受けた日本赤十字社は、孤児救済を異例の早さで決断。
2週間後には孤児56人が東京に到着し、その後も8回に分けて合わせて765人の孤児たちが日本に到着しました。
日本に着いた孤児たちには、まず衣服の熱湯消毒が行われました。
そのとき、衣服の代わりに支給された浴衣の袖には、飴やお菓子がたっぷりと詰められていたそうです。

このニュースは日本でも大きな関心を集め、歯の治療や散髪を無料で申し出る団体、
また慰問に訪れる合唱団などが後を絶ちませんでした。

孤児たちはみるみる元気を取り戻し、やがて祖国に帰る日がやってきました。
横浜港で孤児たちは「アリガトウ」を何度も繰り返し、看護師たちと離れるのを泣いて嫌がりました。

それから70年余り。
日本が阪神大震災に見舞われたとき、ポーランドは真っ先に、
震災で両親を亡くした子どもたちの援助を申し出ました。
ポーランドでは、「いかなるときも日本の恩を忘れない」と、いまなお若い世代にその精神を受け継いでいるのです。