明日から2月。4日には立春を迎えます。
春と言っても暦の上のことで、寒さはまだまだ厳しく、「早春賦」の歌の世界
そのままです。
「春は名のみの風の寒さや」と歌う早春賦。
今や季節の代名詞とも言うべき存在ですが、
作詞した吉丸一昌(よしまる・かずまさ)のことはあまり知られていないようです。
明治6年、現在の大分県臼杵市の下級武士の家に生まれた一昌は、
明治という武士階級にとっては厳しい時代の荒波の中で、苦学しながら、
大分中学、熊本の旧制五高、さらに東京帝国大学に学びます。
そして卒業後は、中学校教諭を経て、東京音楽学校の教授に抜擢され、
間もなく文部省唱歌の編纂(へんさん)委員に任命されています。
それは厳しくも新たな時代がもたらした可能性に満ちた人生でした。
その一方で、一昌が取り組んだのが人材の育成でした。
一昌は大学在学中に「修養塾」という私塾を開き、そこで地方出身の
苦学生の勉学から衣食住・就職まで世話をしています。
また、中学校の教諭時代には、苦学生が働きながら学べるようにと
私財を投じて日本初といわれる夜間学校を創設するなど、
自らは質素な生活を送りながら、生涯に渡って苦学生への援助を惜しまなかったといわれます。
「早春賦」は、文部省唱歌に満足しなかった一昌が大正3年に発表した
「新作唱歌・第三集」に収められています。
その2年後、一昌は43歳の若さで急逝しました。
一昌が遺した「早春賦」、それは志を抱いて懸命に生きる、
まさに早春の若者達への応援歌であったのかもしれません。