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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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1/10「誇りの鏡」

昭和20年8月、太平洋戦争が終わった直後のこと。
九州の玄関口??北九州市の門司港駅は、大陸から引き揚げてきた人々であふれていました。
昼夜をおかず列車が発着し、乗り継ぎ列車がない人は駅のホームで寝泊まりする混雑ぶり。
その人混みの中に、2?3歳の幼い子どもを連れ、大きなお腹を抱えた一人の女性がいました。

彼女は駅のホームで、突然陣痛が始まってしまいます。
異変に気付いた駅員は、すぐに彼女をリアカーに乗せ、幼い子どもを背負って病院へと向かいました。
ところが開いている病院がありません。
駅員は自分の家に連れて行き、自宅で出産させることを決意します。
「心配いりませんよ、もう少しがんばってくださいね」
親戚も知り合いもいない門司港で、駅員に励まされた彼女はどんなに心強かったことでしょう。

翌朝、駅員の自宅で元気な男の子が生まれました。
赤ちゃんは、門司港での恩を忘れないようにと、左の門司と書いて「左門司(さもんじ)」と名付けられました。
そして2週間後、遅れて大陸から到着した夫とともに、一家は関東の茨城へと帰っていきました。

それから26年後の昭和46年、左門司さんが結婚することになりました。
彼が真っ先に招待したいと考えたのは、門司港駅の駅員さん。
左門司さんは誕生日の度に、自分の命の恩人の話を母親から聞かされていたのです。
彼らは、26年ぶりの再会を心から喜び合いました。
そして同じ年に、両親が再び門司港駅を訪れ、26年前のお礼にと、大きな楕円形の鏡を寄贈しました。
駅の事務室に架けられたその鏡は「誇りの鏡」と名付けられ、
いまでも駅員はこの鏡の前で身だしなみを整えてから、駅に出ることになっています。