1/3「響け!九州のオーケストラ」
西日本にはオーケストラと呼べるものがない。みんなで交響楽団をつくろう!
昭和28年、九州交響楽団の発足を呼び掛けたのは、
アマチュアオーケストラの指揮をしていた若者・石丸寛(いしまるひろし)さんです。
集まったのは、軍楽隊の経験がある九州大学のOBやテレビ局の放送管弦楽団員たち。
石丸さんは指揮者としてメンバーを率いることになりますが、
自分より十歳も二十歳も上の先輩を相手に、タクトが上手く振れません。
指揮者というのは、人間性が未熟なうちは誰もついてきてくれない。
そう思った石丸さんは、指揮者を後任に譲り、東京へと旅立ちます。
その東京には、クラシック界の巨匠と呼ばれたカラヤンが来日していました。
石丸さんは、カラヤンの直接指導を受け、その後はテレビで音楽番組を企画したり、
全国のアマチュア楽団を集めた「5千人の第九」を発案するなど、幅広い活躍をしていきました。
そんな石丸さんが再び九州交響楽団に帰ってきたのは平成7年。42年の月日が流れていました。
そのとき、彼には昔とは違う、はっきりとした指針がありました。
横のつながりが希薄な時代だからこそ、楽団が同じ目標に向かうことで、
一つのファミリーのような関係を築こう。私はそのためにタクトを振るのだと。
石丸さんの指揮は、演奏者たちにもすぐに伝わりました。
「先生のおかげで、こんなに楽しく演奏できるのだから、本番では先生を幸せな気持ちにするつもりで演奏しよう」という団員たちの想いが相乗効果を生むのです。
石丸さんは晩年、自らのがんを告知し、抗がん剤治療は受けずに最後までタクトを振り続けました。
それは、自分の経験をすべて後継者に伝えたいという思いだったのかもしれません。
平成10年に他界された石丸さん。
その意思を受け継いで、今月も九州各地で、九州交響楽団のニューイヤーコンサートが開催されます。
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