オリンピックの水泳競技で10代の選手が活躍するのは、いまや常識ですが、その先駆けとなった大会は、1932年のロス五輪でした。
種目は1500m自由形。
それまでのオリンピック記録を40秒近くも縮める19分12秒4の記録を出したのが、日本の北村久寿雄(きたむらくすお)選手です。
このときの彼は14歳。
坊主頭の少年が、大人の選手たちを寄せ付けず泳ぎまくる姿に、地元ロスの会場は驚嘆の歓声につつまれました。
ちなみに、このことが刺激となってアメリカでは10代の選手を集中的に強化し、やがて水泳王国を築き上げたといわれています。
ところで、このロス五輪で金メダルを取った14歳の北村選手は、意気揚々と日本に凱旋帰国。
歓迎会でもモテモテの人気者で、有頂天になっていました。
その姿を見て、彼に言葉をかけたのが、当時の日本水泳連盟会長・末広厳太郎(すえひろいずたろう)。
「北村君、キミはプールでは世界一かもしれないが、プールを離れたら、学生じゃないか。世界一に恥じない立派な学生、立派な社会人をめざせ。泳ぐだけなら魚だって泳ぐぞ」。
頭をハンマーで殴られたようなショックを受けたという北村少年。
自分が天狗になって奢り高ぶっていたことを思い知らされます。
彼は翌年、大学への進学を決意しました。
いろいろな大学から勧誘があり、無試験で入学させるという有名大学もありました。
しかし、彼はそれらをすべて断り、水泳もきっぱり止め、2年がかりの猛勉強で京都大学に入学。
後に東京大学法学部に進みました。
進学した東京大学で法学部長をしていた人こそ、北村少年に手痛い忠告をした末広厳太郎。
あの忠告を受けて以来、北村少年は末広博士を心から尊敬し、「末広博士のような人物になりたい」という一途な思いで、その後の人生を切り開いていったのです。