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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/1 「日本の公園の父」

公園は、都会の中の緑のオアシス。
今はどこの町にも公園が当たり前のようにありますが、公園というものが初めて出来たのは、明治36年。
105年前の今日、東京に日本最初の西洋式公園「日比谷公園」がオープンしました。

設計をしたのは、東京帝大教授・本多静六(ほんだせいろく)。
当時、公園の概念さえもわからなかった日本人の中で、森や林の研究で日本初の林学博士の学位をもち、ヨーロッパへの留学経験もあった彼に、公園づくりの白羽の矢がたったのです。
ところが、本田博士が公園の設計案を提出すると、公園というものを見たことも聞いたこともない東京市の議会から反発されました。
例えば、「公園の出入り口に扉を付けないのは不用心ではないか!」
これに対して彼は、「公園は誰もがいつでも自由に利用できるような、公共の場である」と反論しました。
また、公園に季節の花々を植えるという計画に、「花が盗まれるではないか」という批判。
これにも「花を盗んではいけないという心を育むのも、公園の役割。そのような公共の道徳心が発達してこそ、日本は真の近代国家となりうる」と主張しました。
このような議論をさんざん繰り返して、ようやく日比谷公園が造られたのです。

西洋の花々が咲き乱れる園内。
レストランではカレーやコーヒーといった洋風の食事を味わい、音楽堂では西洋楽器の演奏。
文明開化の東京では鹿鳴館などで貴族たちだけが西洋文化を楽しんでいましたが、この公園は庶民でも気軽に洋風文化にふれられる場となったのです。

そして本多博士はその後、明治、大正、昭和と35年間にわたって全国各地で公園の設計に携わり、その数は大小合わせて数百に及びます。
晩年には国立公園の設置にも力を尽くし、「日本の公園の父」と慕われながら、その生涯を全うしました。