2008年5月アーカイブ

5/25「鳴き砂を守る」

足で踏みしめて歩くと、砂が「キュッ、キュッ」と音を出す「鳴き砂」。
これは、きれいな海岸の砂浜にしか見られない特異な現象です。
もっと詳しく言えば、鳴き砂の正体は、砂の中にきらきらと光る石英という鉱物の粒。
この石英が多く含まれる砂浜が鳴き砂の条件だとされています。

日本ではおよそ30カ所の砂浜で鳴き砂が確認されていますが、その中で京都の琴引浜(ことびきはま)は全長18キロにも及ぶ全国でも最も規模の大きい鳴き砂海岸。
音の美しさも、その名の通り「琴を引いたような」音がすることで、平安時代から歌にも詠まれています。

その琴引浜に異変が起こったのは11年前。
ロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」の座礁事故です。
流出した大量の重油が琴引浜を埋めつくすほど流れ着き、目を覆うばかりの惨状となりました。
重油まみれの変わり果てた砂を見て、地元の人たちは落胆しました。

ところが、やがてこの琴引浜にたくさんの人が駆けつけます。
彼らの大半は、全国それぞれの海岸でゴミや漂流物を拾って鳴き砂の保全活動をする人たち。
琴引浜の惨状を人ごととは思えず駆けつけたのです。
大規模な浜の復元作業が始まりました。
延べ1万3000人のボランティアがふるいを使って重油を落としていくという、気の遠くなるような手作業を、3か月かけて続けたのです。
やがて琴引浜の鳴き砂はよみがえりました。

全国の鳴き砂海岸それぞれに、人知れずゴミや漂着物を広い集めながら、砂浜を守っている人たちがいます。
鳴き砂は、大自然のメカニズムがつくった遺産。
でもそれを守っているのは、私たち人間ひとりひとりの力なのです。

5/18「アルジェリアに届いた絵」

アフリカ北西部・アルジェリアの地中海沿岸部が、マグニチュード6.8の大地震に見舞われたのは、5年前の2003年5月21日。
この地震による死者は2,200人を超え、負傷者は1万人以上といわれています。

日本からも国際緊急救助隊や医療チームが派遣されましたが、このとき「自分たちにも何かできることはないだろうか」と、神戸市長田区の小学生が立ち上がりました。
彼らはちょうど1995年、阪神淡路大震災の年に生まれた子供たちです。
震災のとき、アルジェリアから避難用の大型テントが送られてきたこともあり、子供たちは恩返しの気持ちを込めて、「励ましの絵」を贈ることにしました。
この話を聞いた当時のアルジェリア大使館の大使夫妻は、ぜひ子供たちに会いたいと申し出て、救援物資を送りだす港で「励ましの絵」を受け取ります。
日本から海を越えて届いた絵に、アルジェリアの子供たちはどんなに励まされたことでしょう。

そして一年後。今度は長田区の子供たちに数冊の絵本が届きました。
アルジェリアの子供たちが、日本から送られてきた絵を切り抜いて、自分たちで創作絵本に仕上げたのです。
送られてきた絵本には「日本の子供たちからの連帯の記念の証しに…」というメッセージが添えられていました。
被害のひどかったアルジェリアの小学校7校も、2006年11月にようやく新校舎が完成。
記念行事では、復興をまるで自分たちのことのように喜ぶ長田区の子供たちのビデオメッセージが流れました。

震災を通じてお互いの国を知り、お互いを思いやる子供たち。
小さな胸に刻まれた思いは、未来の大きな掛け橋になるのかもしれません。

5/11「星野村の山村留学」

茶畑に囲まれた、人口およそ3,500人の福岡県星野村に、今年も12人の山村留学生がやってきました。
留学生を受け入れるのは星野小学校。
平成2年から山村留学制度を実施し、村の子供たちは毎年、全国から留学生がくるのを楽しみにしています。

留学生は、「星の自然の家」という寮で1年間、指導員や寮母さんたちと暮らします。
都会からきた留学生は、初めショッピングセンターやゲームセンターのない村の暮らしにとまどいますが、
自然に囲まれて、サワガニやカエルの卵を掴まえたり、茶摘みを経験したりするうちに、少しずつ溶け込んでいきます。
学校給食や寮母さんが作る食事も、畑から直送した旬の野菜を使った「がめ煮」や、いのししの肉の入った「しし汁」など、星野村ならではのメニュー。
おいしい山の恵みに、おかわりの声が飛び交います。

4月には、恒例の山登りが行われましたが、留学生たちが驚いたのは、生徒だけではなく、村の住民たちが参加したこと。
山桜の美しい景色を眺めながら一緒に登山を楽しみ、村全体が自分たちを受け入れてくれていることを実感したそうです。
「星の自然の家」の指導員・石川信男(いしかわのぶお)さんは、「留学を経験すると、ご両親から家の手伝いをするようになったとか、おじいちゃんに優しく話し掛けるようになったという声が届くので、うれしいですね」とおっしゃいます。

山村留学は、自然の恩恵や先人の知恵を学び、暮らしに根付いた風土を全身で体験する一年。
留学生たちは、そこに息づく人と人とのつながりを、素朴な暮らしの中から見出だし、誰かを思いやるという大切な気持ちまでをも学んでいるのです。

5/4「ラムネの日」

きょう5月4日は、「ラムネの日」です。
ラムネとは、明治5年5月4日に東京の千葉勝五郎(ちばかつごろう)という人が製造販売を始めたといわれる炭酸飲料レモネードのこと。
「レモネード」がなまって「ラムネ」と呼ばれるようになったようです。
とはいえ、皆さんが「ラムネ」と聞いて思い浮かぶのは、中にビー玉が入った、あの独特の瓶でしょう。

このラムネの瓶が発明されたのはイギリスで、日本には明治20年代から入ってきました。
その後、王冠やねじって外すキャップなどが発明され、飲み物の容器はそのほうが圧倒的な主流となり、
ラムネの瓶は世界中から消えていきましたが、唯一日本だけは、いまもなんとか生き残っています。
青みがかった透明の瓶の中にビー玉がある不思議さ。
専用の栓抜き機でビー玉を落とし込む時の、シュポンという心地よい音。
その瞬間に勢いよく白い泡が吹きこぼれる楽しさ。
一口飲んで瓶を振るたびにカランコロンと風鈴のような涼しげな音。
日本の風土や季節感に溶け込んだラムネには、喉を潤すだけではなく、日本人の心を潤す何かがあるのです。

現在、ラムネを扱っているのは、全国数十社のローカルメーカー。
ところが、ラムネの瓶が作られている工場は、日本にひとつしか残っていません。
その工場機械も老朽化し、近い将来、ラムネの瓶が製造されなくなる日がくるようです。
それでも、「日本人に愛されてきたラムネを絶やすわけにはいかない」と、
ラムネ・メーカーは、一生懸命空き瓶を回収しては再使用に努めています。

季節は初夏。懐かしい思い出やふるさとの郷愁がいっぱい詰まったラムネは、これからが旬です。

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