6/15「ブラジル移住100周年」
今年は、日本人が初めてブラジルに移住して、100周年を迎えます。
現在ではおよそ140万人の日系人がブラジルで活躍していますが、最初にブラジルに渡った日本人は781人。
1908年4月28日、日本人を乗せた笠戸丸(かさどまる)が神戸を出港し、およそ2ヵ月後の6月18日、ブラジルのサントス港に到着しました。
当初、日本人はコーヒー農園などで契約農民として働き、彼らに続いて多くの日本人がブラジルに渡りました。しかし、1941年に起きた太平洋戦争で、日本とブラジルの国交は断絶してしまった歴史もあります。
その戦争の最中、日本に留学していたブラジル生まれの日系2世の川村真倫子(かわむらまりこ)さん。
戦争の為ブラジルに戻ることがきませんでしたが、その後ブラジルに戻った1952年、川村さんはブラジルで初めて小さな日本語塾を開きました。
この塾には、「戦争のない世界をつくるため、ブラジルで教師になって、子供たちに平和の尊さを教えたい」との想いが込められていたのです。
小さな塾はやがて学園となり、1993年には、保育部、幼稚部、小・中学部からなるブラジル公認の大志万(おしまん)学院へと発展していきました。
この学園の生徒たちは、もうひとつの母国ニッポンを知らない日系ブラジル人。
日本で使える日本語を覚えて、友達をつくることを何よりも楽しみに、勉強しています。
川村さんの教育理念は、「地球はひとつ、宇宙はひとつ」。
国際交流を大切にし、毎年、生徒たちを東京の玉川学園に送り出しています。
今年は、交流100年の節目に、初めて玉川学園から生徒12人がブラジルを訪れることになりました。
「日本の子供たちにポルトガル語の授業にも出席してもらい、ブラジルの文化を肌で感じてもらいたい。
大々的な記念式典も大切だけど、人と人の心の交流こそが、次の200周年へとつながっていくのだと思います」と川村さんは、期待を込めて語っています。
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