およそ800年前の元暦(げんりゃく)2年3月24日、山口県下関市の壇之浦で源平最後の合戦が行われました。
この戦によって、「平家は滅亡した」と歴史に記されています。
ところが、その後、平家の誰それが逃げ延びていったという、いわゆる平家落人伝説が生まれました。
その数は全国各地に120か所ほどもあります。
すべての伝説に共通するのは、平家の残党は落人狩りの影に怯えながら、息を殺すように代々ひっそりと生きていったこと。ひとたび世間にその存在が分かってしまうと、追討の手が迫り自害して果てたという伝説も見られます。
このように、全国の平家落人伝説には、滅びゆく者のあわれさ、無情感が漂います。
ところが、ひとつだけ、色合いが異なる平家伝説が存在するのです。
その舞台は、宮崎県の椎葉村。
ここに落ち延びた平家の残党にも源氏方の武将・那須宗久(なすのむねひさ)の追討の手が迫ります。
しかし、彼らが畑を耕しながら平和に暮らしているのを見て、宗久は追討を取りやめ、彼らといっしょに椎葉に暮らすのです。そして、この地にいた平清盛の孫娘・鶴富姫と知り合い、やがて恋仲になります。
3年後、那須宗久は椎葉を去りますが、彼と鶴富姫との間には可愛い女の子が生まれ、源氏と平家の架け橋として慈しみ育てられたそうです。
戦い、憎しみあってきた源氏と平家の人々・・・。
「椎葉の平家伝説」は、椎葉の村に住む人々によって、「お互いを許し合い、認め合い、思いやる心の伝説」となって、今も伝えられています・・。