2007年9月アーカイブ

公園や街中をジョギングする女性たち。今ではごく当たり前の風景ですが、そのパイオニアは、日本初の女性メダリスト人見絹枝(ひとみきぬえ)さんです。

明治40年生まれ。岡山の高等女学校の競技大会で走り幅跳びに出場し、4m67cmという当時の日本女子最高記録を跳んだことから、陸上競技に身を投じていきました。当時、女性は内股で楚々と歩くのが美徳とされていた中で、彼女は太ももを露にして走りました。どこに行っても好奇と非難の目。そんな視線を跳ね飛ばしながら彼女は世界の桧舞台に上っていきました。
昭和3年のアムステルダム・オリンピック。陸上競技に初めて女性の参加が認められ、人見さんは日本選手団ただ一人の女子選手として乗り込みます。
先の選考レースで世界新を出していた100m走では残念ながら敗退。「このままでは日本に帰れない」と、彼女は急きょ、一度も走ったことがない800m走に挑みます。
結果は2位入賞。ゴール後に意識を失うほど凄絶なレースで銀メダルを獲った人見選手を、アメリカの新聞は次のように表しています。
「日本娘といえば着物を着て、茶道と生け花に忙しく、繊細で弱々しい体をしていると考えていた。しかし、人見はスピードと精神力において欧米諸国の選手たちを打ち破ったのだ。我々の日本女性観は間違っていた」
人見選手はまた、全国を講演して女性スポーツの広がりや進歩を訴えつづけ、現役選手でありながら、自分の練習時間を削って後進の育成に力を注ぎました。
昭和5年、国際女子競技大会がチェコのプラハで開催。出場した日本選手は6人に増え、人見自身も走り幅跳びで優勝します。
その栄誉を最後に、1年後、彼女はこじらせた肺炎のために24歳という短い生涯を閉じました。
プラハの郊外には人見選手の活躍を讃える石碑が建てられ、「愛の心をもって世界を輝かせた女性に感謝の念を捧ぐ」と記されています。

9/23 放送分 「お月見の団子泥棒?!」

明後日、25日は十五夜、中秋の名月です。
全国各地で観月会が行われたり、ススキやお団子を供えてお月見する家庭も多いことでしょう。

地方によって月見の行事には、さまざまな風習の違いがあります。
たとえば鹿児島の離島や沖縄では、町中の人たちが満月の下に集まって、大掛かりな綱引きをする地域があります。
また、お供えした団子や芋を近所の子どもたちがもらって歩いたりする、まるでハロウィンのような風習が九州・沖縄でも各地に残っています。

この風習をもっとエスカレートさせたものが、「お月見の団子泥棒」。軒先や玄関先、縁側に置かれた団子を、子どもたちが盗んで回るのです。
もちろん、このことはどこの家の人も予め知っていて、見ても見ぬふり。
多く盗まれるほうが縁起がよい、というわけで、美味しい団子をせっせとこしらえていたようです。
子どもたちにとっては待ち遠しい行事のひとつ。ごちそうをたくさん食べたいという願望と、いかにうまく供えものを盗むかという遊び感覚の楽しさがあったのです。
とはいえ、待ちきれない子どもが明るいうちから盗もうとすると、「そんなに早く来たらお月さんが食べる暇がないだろ」などと叱ったそうです。
いずれにしても、なんと町中が楽しくなるお月見でしょう。

残念ですが、いまなおこの風習を残す地域はありません。
でも、あなたのお父さんお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃんに聞いてみてください。
ひょっとしたら子どもの頃に「お月見の団子泥棒」だった方がいるかもしれません。

9/16 放送分 「夜間中学」

戦後の混乱期、生活のために働かなくてはならず、学校に行けない子どもたちがいました。
そんな子どもたちのために生まれたのが、夜間中学です。

昭和22年に大阪から始まった夜間中学は、各地に広がり増え続けました。そして、昭和29年には全国に87校、生徒数は5000人を超えるようになりました。しかし、社会が安定していくとともに、義務教育として子どもたちを昼間に学ばせる国の方針から夜間中学は次々と廃止されていきました。
ところが、昭和45年から再び夜間中学が復活。現在、全国には35校の公立夜間中学があります。

通っている生徒は子どもではなく、お年寄りも。子どものとき、戦争や経済的な理由のために学校に行けないまま大人になった人たちの「学び舎(まなびや)」なのです。
読み書きができるようになって、孫に年賀状を送りたい。
きちんと算数を学んで計算ができるようになりたい。
中学生活を送って人生の忘れ物を取り戻したい。
こんな願いを持った人たちが毎日、夜間中学へ通って勉強しています。

そんな生徒に授業をする先生は、生徒より若く、20代の先生ともなれば、生徒にとっては孫。でもそこには年齢差を超えて真剣に教える姿、真剣に学ぶ姿があるのです。
初めて字が読めた喜び、計算ができた嬉しさ、学ぶことの感動を、お年寄りたちは率直に表します。
そして、その姿に、逆に人生を教えられる若い先生たち・・・。

21世紀の夜間中学は、感動と感謝、喜びに満ちあふれています・・・

9/9 放送分 「ラジオ体操」

毎朝6時30分になると聞こえてくるラジオ体操の音楽。
福岡県春日市にある県立春日公園の遊具広場周辺には,およそ100人の人達が自然に集まり、ラジオ体操をしています。
年齢層は20代から70〜80歳代くらい。その中にラジオを持ってくる人がひとりいました。その方に話を聞くと、ラジオ担当3代目だそうです。

始まりは、平成6年6月6日。当時40歳代のサラリーマン,およそ10人のメンバーではじめました。そうするうちに、だんだん、公園をウォーキングしている人やジョギングしている人達も、ラジオ体操のメロディが聞こえると、自然に集まってきました。そしていまや、100人を超える人たちが、一緒にラジオ体操をしています。最初にラジオを持参したサラリーマンが転勤になった為、是非続けて行こうと、仲間が2代目、3代目と引継ぎ、今の担当は67歳の男性。3代目として6年を迎えるそうです。

暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、雪の日も、毎日ラジオを持ってきて6時30分になったら、ラジオを鳴らします。雨の日でも最低20人は集まってくるとか。その時は、遊具広場の大きな屋根の下で体操をするそうです。
今では、顔なじみから、親しさも増し、ラジオ体操がきっかけで、春日公園でお花見やお月見をする仲になった人もいるそうです。

春日公園には、朝、周辺の博多区や春日市、大野城市、筑紫野市などから沢山の人がウォーキングやジョギング、体操などをしに集まってきます。
中には、ラジオ体操が目的で来ている方、そして、体操仲間に会うために来ている方もいらっしゃるようです。
「毎日続けて病気知らず。これからもがんばりますよ!今後は春日公園ラジオ体操愛好会みたいなものを立ち上げたい」と
ラジオを持ってくる3代目さんは目を輝かせていました。

9/2 放送分 「小さな忘れもの」

夕刻のバスの中は、家路を急ぐ人たちで少し混雑していました。
バスは住宅街にさしかかり、とある団地前で停車します。
人ごみの中から、料金箱の前に現れたのは、ランドセルを背負った小学生の女の子でした。
「あのね、これ、お母さんから預かったの…」と言いながら、自分の料金とは別に、小銭の入った小さな白い紙の包みを運転手さんに渡しました。
運転手さんは、何度もうなずいて、満面の笑みで「はい、ありがとう」と言ってその小さな包みを受け取りました。
その女の子のお母さんは、以前、バスの中で財布を忘れたことに気が付き、運転手さんに申し出たのでしょう。
「今度でいいですよ」。そう言われた時、どんなにほっとしたか目に浮かびます。
確かに、払い忘れたバスの料金を後日返しただけのことかもしれません。
でも、そのバスに乗り合わせた誰もが、その光景に拍手を送りたい気持ちでいっぱいになりました。
忘れものをしてしまうことは、誰にでもあることですが、そのお母さんは決して忘れてはいけない大切なものを娘に教えてあげている??そんな気がしてなりませんでした。
女の子を降ろしたバスは、温かい気持ちに包まれたまま、夕焼けに照らされながら出発しました。
さまざまなふれあいに出会うバス。今日もきっとどこかで、小さなふれあいを楽しみながら、私たちの街を走っています。

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