76年前のきょう??昭和6年の8月26日、単独大西洋無着陸横断で世界的英雄となったリンドバーグが妻とともに、日本の霞ヶ浦に飛来。まだ飛行機など珍しかった日本では、大勢の人たちに熱狂的な歓迎を受けました。
リンドバーグ夫妻は日本各地を周り、博多湾にもさっそうと舞い降りて、やはり市民の大歓迎を受けています。
それから5年後。似たような出来事が九州で起こりました。
ただしこちらのほうは、さっそうと舞い降りたわけではありません。
パリ・東京間の飛行機レースに挑戦したフランス人アンドレ・ジャピーの操る小さな飛行機が、悪天候のために、佐賀県にそびえる背振山の山腹に墜落してしまったのです。
そのころ山中で炭焼きをしていたのが、麓の背振村の人たち。霧の中に大きな墜落音を聞き、すぐさま決死の捜索を始めました。
数時間後、村人たちが発見したのは、壊れてくすぶる機体の中で重傷を負っている外国人。消防団や診療所の医師もかけつけ、みんなで助け出し、麓まで運んだのです。
ジャピーはそのまま診療所に運ばれ、言葉は通じないながらも村人たちの献身的で手厚い看護を受けました。
やがて彼は福岡市の設備が整った大病院に送られますが、4か月後に退院すると、お礼を言うために再び背振村を訪れます。
そんな彼を待っていたのは、村を挙げての送別会。そのあたたかさに接して、彼は「飛行機レースには失敗したが、それよりも尊いもの??美しい日本人の真心を知ることができた」と澄んだ瞳を濡らして帰国したそうです。
一人の外国人が見た、当時の日本の地域住民の結束力と素朴な人間愛。
あれから68年。当時を知る村のお年寄りは、いまも「ジャピーさん」と親しげに呼びながら、思い出を懐かしんでいます。
2007年8月アーカイブ
「面白うてやがて哀しき鵜飼いかな」??夏の夜の風物詩・鵜飼い。九州では筑後川で行われています。
鵜飼いというと、「鵜が一生懸命捕まえた鮎を鵜匠が全部吐き出させて取り上げるなんて、ずいぶん可哀想だ」と思う方もいるでしょう。
でも、私たちが見ているのは、鵜飼いが行われるわずかな時間だけ。その陰には、私たちの知らない鵜と鵜匠の世界があるのです。
鵜はもともと野生の鳥。それを人間に馴らすことから始まります。
人間を警戒する野生の鵜は、餌を食べようともしません。
そばに人間がいなくても、与えられた餌はそのまま。こうなると鵜と人間の我慢比べです。
宝石のような瑠璃色の光を放つ鵜の目は、ひもじさに狂いそうになりながら、屈服すまいと人間を睨みつけます。
放っておくと餓死するのは明らか。そこで嘴をこじりあけて魚を押し込みます。
暴れて抵抗する鵜。でも、いったん魚を飲み込んでしまえば、緊張の糸が途切れたように旺盛な食欲を見せ、餌をねだるようになります。
鵜が人間を認めた瞬間。また、鵜匠が鵜のことを可愛いと思う瞬間なのです。
それから3年ほどかけて鵜飼いの訓練がスタート。馴れた鵜に対する鵜匠の愛は深く、訓練ではけっして鵜を叱ることもなく、空腹にしておいて餌で仕込むようなこともありません。
こうやって一人前になった鵜は、魚を捕るという野生本能を満たすと同時に、鵜匠を喜ばせようと懸命に働くのです。
そして、鵜匠の姿が鮎を捕る自分たちのすぐ後ろにいるのを感じることで、安心して鮎を追っていきます。
残り少ない夏の夜、鵜飼い見物のチャンスがあったら、よく見てください。
鵜と鵜匠が、血を分けた間柄のように強い磁力で引き合い、1本の綱でしっかりと繋がれているのが分かることでしょう。
「ざしきわらし」を知っていますか。
座敷の童(わらべ)と書いて「ざしきわらし」。東北の岩手県にいまも伝わる妖怪で、人の出入りがあまりない座敷や天井裏、古い土蔵の中に棲んでいて、子どもには姿が見えても、大人には姿が見えないそうです。
いくつかの小学校では、子どもと一緒になって遊び戯れていたり、夜、白い着物を着た子供が、戸の隙間から教室に入り、机や椅子の間をくぐっては、楽しそうに遊んでいたという話が残っています。
また、ある家が火事になり、火の手がどんどん広がってくるので、慌てた家の人が家財道具を運び出していると、いつの間に現れたのか、見慣れない子どもが一人出てきて、手伝ってくれたそうです。
この不思議なざしきわらしは、どこから生まれたのでしょうか?
こんな説があります。
昔の農家は一家総出で田畑の仕事に追われ、子どものことにそんなにかまってはいられません。
子どもたちも心得たもので、親の農作業の手伝いをしたり、幼い弟・妹の子守りをしたり、遊ぶときは親に面倒を見てもらえない分、周り近所の子どもたち同士、まるで兄弟のように仲良く遊んでいました。
その代わり、地域の子供は地域全体が親となって育てるという意識がありました。東北に限らず、昔の農家は大家族が多く、大勢でいっしょに食事をするとき、一人知らない子どもが混ざっていて、それがいったいどこの誰だか知らなかったりします。だからといって気にすることはなく、よその知らない子でも、その家の子と同じように食事をさせ、その家に泊めてあげることもあったそうです。
なんともおおらかな愛情に溢れた、懐かしい時代の子育て。忘れかけていた日本人の大事な心を思い出させてくれる何とも、ほのぼのとした ざしきわらしの伝説です
夏の夜空に大輪の花が咲き乱れる花火大会。福井県高浜町の若狭和田(わかさわだ)海水浴場では一風変わった花火大会が注目を浴びています。
それはプロの花火師による打ち上げ花火ではなく、町の若者たちによって、おもちゃのロケット花火を打ち上げる大会なのです。
始まりは13年前。地元の若者たち数人が、仲間の一人の誕生日の為に、お小遣いを出し合ってロケット花火2000本を買い、海水浴場で盛大に打ち上げて祝いました。それをたまたま見ていた観光客から「毎年やっているの?」と質問され、思わず「毎年お盆にやっています」と答えてしまったそうです。
引っ込みがつかなくなった若者たちは、毎年夏の同じ日に花火を上げることにしましたが、打ち上げる花火の数も、仲間の数も、見に来るお客さんも年毎に増え、いつしか町を代表する大会になっていったのです。
おもちゃのロケット花火とはいえ、それがいっせいにに何千本と発火して打ち上がる光と音はなかなかのものです。
打ち上げるメンバーも地元の若者だけではなく、この大会に共感した人たちが今や全国におよそ350名。毎年1万円の協賛金を出し合って、各地からチームを組んで会場に訪れ、花火の打ち上げに参加するようになりました。
また、花火大会が終わると、海を汚さないように花火カスやゴミを片付けることにしていますが、見にきた大勢のお客さんも自然と手伝うようになりました。
みんなが協力してつくりあげる、この花火大会は、観光客の夏の思い出と多くの人々の出会いと交流の場を提供しているのです。
福井県高浜町・若狭和田海水浴場のロケット花火大会は、今年も8月14日に開催。全国から集まった350名の仲間の手で、合わせて30万本以上の花火が華麗に打ち上げられるそうです。