2007年4月アーカイブ

4/29 放送分 「道の駅弁」

昔もいまも、列車の旅のお楽しみといえば、駅弁。九州では、人気投票のコンテストも毎年行われています。また、空の旅でも、各空港で「空弁」(そらべん)が発売され、人気を集めています。
今日紹介するのは、「道の駅弁」。クルマでのドライブでよく見かける「道の駅」でも、個性的な駅弁が登場しているのです。

始まりは5年前。九州のある村の道の駅に直売所の施設が出来ました。
そこに集まったのは、農家のお母さんたち。「この村で採れる新鮮な食材を使って弁当を作り、ここで売ってみよう」というわけで、試作が始まりました。
それぞれが代々受け継いできた家庭料理を披露し、出来上がったものをみんなで試食して、味付けや盛り付けなどを議論。
料理を入れる器も、村に生える竹を切って自分たちでこしらえました。
これまで、農家の仕事と家事を黙々とやってきたお母さんたちですが、そのキャリアを生かしての新しいチャレンジに、みんないきいきと輝きました。

そして、いよいよ道の駅で販売する日となりました。
「家の周りにあるものばかりで作った田舎弁当です」というメッセージに、お母さんたちの笑顔を添えた看板を掲げて売り出したところ、370食が瞬く間に完売。お客さんからは「こんな弁当が食べたかった」といった声が上がり、お母さんたちは、この村全体が誉められたような、幸せな気持ちに包まれたそうです。

この村のお母さんたちの取り組みがきっかけとなって、現在は九州・沖縄33の道の駅で、それぞれ個性あふれる「道の駅弁」が販売されています。
そのどれもが、地元のお母さんたちが地元の自慢の食材を使って、伝統の家庭料理をもとに作ったものばかり。このゴールデンウィークにドライブすると、そんな愛情いっぱいの「道の駅弁」に出合うかもしれません。

4/22 放送分 「地球の日」

1970年、環境問題に関心を持ち、環境保護に取り組んでいた、アメリカ・スタンフォード大学の学生デニス・ヘイズが、地球全体の環境を守るように全米の大学に呼びかけコーディネイトしました。
この呼びかけに2000万人のアメリカ人が賛同。全米各地で環境に関する様々なイベントが行われました。
例えば、ニューヨーク市では、市長が5番街からすべての車を閉め出し、サンフランシスコでは、10万人の人々がエコロジーフェアーに繰り出しました。そして、自動車労連は、スモッグがでない車を呼び物にパレードをし、アメリカ3大テレビネットワークは、全米各地の環境イベントを実況中継しました。それが4 月22日だったのです。
これらの行動は、アメリカ政府や自治体に大きな影響を与え、環境保護庁が設置され、大気浄化法、水質浄化法などの環境法も整備されました。
これをきっかけに、毎年4月22日をアースディとして環境問題への関心を示し行動を起こす日となり全米に広がりました。

このアースディはそれから全世界へと広がり、日本は1990年から環境問題の展示会やディスカッション、植樹などが催されるようになりました。
その後毎年様々なイベントが行われています。日本に歩行者天国ができたのも、このアースディがきっかけです。

だれもが自由に、その人の方法で、地球環境を守る意思を示し行動する・・。
それがアースディ=地球の日です。

私たちが住む家=地球市民として、地球にやさしい小さなことからでも始めてみませんか?

4/15放送分 「タンデム自転車」

春は、通勤通学、それにサイクリング用に自転車が最も売れる季節です。
いわゆる「ママチャリ」から、マウンテンバイク、電動アシスト車など、さまざまなタイプがありますが、変わり種としては、ハンドルとサドル、ペダルが前後に2組ある二人乗りのタンデム車があります。
遊園地や観光地で見かけることがありますが、東京サイクリング協会がこのタンデム車を使って取り組んでいるのは、視覚障害者の人といっしょにサイクリングを楽しむことです。
場所は東京の神宮外苑にある自転車専用道。タンデム自転車の前に乗るのは協会のインストラクターで、後ろに視覚障害者が乗ります。
目が不自由な立場からすれば、たとえ二人乗りといっても、何も見えない状況でハンドルを持ち、自分の足でペダルを踏んで前に進むのは、恐怖以外の何ものでもありません。
そこでポイントとなるのが、声をかけること。「では右足からペダルを踏みますよ」に始まって、「ゆっくり右に曲がります」「信号が変わりそうなのでちょっとスピードを上げて通り抜けます」など、声をかけながら二人三脚でペダルを踏むのです。
自転車の操作の仕方だけではありません。インストラクターは、周りの景色やすれ違う人々の様子まで、手に取るように後ろのライダーに語り続けます。
この語りかけによって、視覚障害の人は周りの状況や風景を知ることができるのです。初めは不安だった表情もインストラクターとの会話に安心し、やがて、自分のペダルで自転車を走らせる喜びに輝いていきます。

自転車に乗って風を切る爽快感を一人でも多くの人に味わってほしいと願う自転車協会のインストラクター。その語りかけを信頼して、自転車に初めて乗った視覚障害者の人たち。それを叶えたタンデム車は、障害がある人もない人もいっしょに手を取り合って暮らす社会:ノーマライゼーションの実現に向かって走っていく自転車なのかもしれません。

4/8放送分 「人生を変えた1冊」

小学4年生のある男の子。
父は江戸友禅の職人。家に帰ると、弟子もたくさんいて、父も母も大忙し。
自分の居場所は、学校の図書室でした。
ある日、男の子は図書司書の先生に聞きました。
「どんな本を読んだらいいですか?」
先生は言いました。
「そうねぇ。伝記を読むといいわねぇ。人の一生は一度だけど、伝記を読めばたくさんの人生を知ることができるわ。失敗したり苦労したりするけど、必ず最後は成功して偉くなる・・・。そうでなくては伝記にはならないもの」

彼が手にとった本は、エジプト考古学者:ハワード・カーターの「ツタンカーメンのひみつ」。その本は彼にとって人生を決めた運命の1冊となりました。その本でエジプトへの憧れを抱き、エジプトに行って大発見をしたいという夢を持ちました。そして「思いは叶う!夢は叶う!」という言葉を信じました。「エジプトに行ける、行けないではなく、行こう!!」

その後、彼こと吉村作治氏は、早稲田大学で5名の学生と1名の先生と共に隊を作り、日本で初めてエジプト全土を踏査し帰国します。そして5年後に再びエジプトを訪れ、やっと発掘権を獲得。
40年間の歳月をかけ、数々の発掘や発見で吉村氏は世界的にも名を知られるようになりました。最近では、3800年前の完全ミイラ、青いミイラマスクを被った「セヌウ」の未盗掘の発掘をしたことでも有名です。

春は出会いの季節です。
吉村氏の夢のきっかけは、1人の先生との出会いであり、1冊の本でした。
様々の人と出会い、そのうちの誰かの影響で人生が大きく変わることがあります。どうぞ、この春、いい出会いがありますように・・・。

この春、松坂をはじめ、日本のプロ野球のスター選手が新たに大リーグ入り。夢を追って開幕を迎えます。
その大リーグの道を切り開いた日本人選手は、野茂英雄投手です。

1996年、デンバーでのこと。クアーズフィールドで行われたドジャース対ロッキーズの試合は、雨のために午後7時試合開始の予定が2時間以上も遅れてしまいました。それでもスタンドを埋め尽くした地元ロッキーズのファンは、辛抱強く待っていました。
午後9時を過ぎてようやく始まったゲーム。しかしその試合といえば、地元・ロッキーズがまったく点が取れない展開が延々と続いていきます。
雨で試合開始が延びて、さらにチームの一方的な負け試合……ファンにとってはまさに「泣きっ面にハチ」といった心理状態だったに違いありません。
ロッキーズの打者が三振に倒れる度に、その腑甲斐無さと相手投手の強さを詰るブーイングがどんどん広がっていきます。一人のバッターも出塁することなく、ついに9回の裏、最後のバッターも追い込まれました。
その瞬間、スタンドを埋め尽くしたロッキーズファンは、敵チーム:ドジャースの投手に向かって、ブーイングではなく、スタンディングオベーションで声援を送ったのです。
その試合で、大リーグ史上196人目のノーヒットノーランを達成した野茂英雄投手。大リーグの中のたった一人の日本人選手が、敵も味方も超えてアメリカのベースボールファンに祝福されたのです。

あれから11年。野茂が切り開いた大リーグの世界で、今年は16人もの日本人選手が挑みます。
敵味方を超えたスタンディングオベーションの祝福を受ける日本人選手はだれでしょうか。楽しみです。

アーカイブ