ドイツの偉大なる作曲家ベートーベン。
今から180年前の明日、3月26日、56歳の生涯を終えました。
彼は、数々の名曲を残していますが、その人生は決して楽なものではありませんでした。お金を目的にした半ば強制的な音楽教育の元、7歳で初の演奏会。天才少年と脚光を浴び、10代には、一家の家計を支えるようになりました。しかし、最愛の母が亡くなり、父は酒に溺れ、幼い2人の弟の面倒をみることになったベートーベン。20代後半から耳が聞こえにくくなり、ついには、ほとんど何も聞こえない状態になってしまいました。でも、ピアノに耳をつけて骨の振動でリズムを感じ、心でメロディーを奏で、そこから数々の名曲を生み出します。
「音は聞こえないのに、心にはっきりメロディーが流れている。次々に押し寄せる運命に負けてなんかいられない」。そんな想いで完成したのが、「交響曲第5番 運命」。そして、耳が聞こえない為、オーケストラの指揮もうまくできなくなったベートーベンが最後に作った曲は、初めて人の声を入れた合唱つきの「交響曲第9番」。初演は、80人のオーケストラ、100人をこえる合唱団を前に、彼は指揮者の隣に座り、オーケストラの方を向いていました。演奏が終わり、指揮者はベートーベンの腕をそっと取って観客の方を向かせました。するとそこには、総立ちになって熱狂的に拍手する観客の姿。感動のあまり涙する人の姿もありました。
彼が残した沢山の名曲は今も呼吸しています。
特に、最後に作曲した「交響曲第9番」第4楽章はシラー作詞の「歓喜の歌」として様々な場面で歌い継がれています。それは「世界の平和を願う内容」。
ベートーベンが生涯をかけて伝えたかったこと、それは、希望と平和と愛だったのかもしれません。