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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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3/18放送分 「集団就職列車」

いまから半世紀前の3月。「ホタルの光」が流れているのは、学校の卒業式ではなく、駅のホームでした。
高度成長を遂げていた昭和30年代の日本。国の発展を黙々と下支えしたのが、「金の卵」と呼ばれる、地方出身の中学卒業生たちだったのです。
当時、地方の農村漁村の子どもたちの多くが高校に進学できず、好景気で仕事がいくらでもある都市部の中小企業に送られていました。
そのため、全国各地で仕立てられたのが「集団就職列車」なのです。

出発間際のホームでは、大勢の見送りの人たちが声を枯らして別れの言葉をかけ、窓の中の子どもたちは、皆一様に不安と希望が入り交じった複雑な顔で親の言葉に黙って頷くばかり。
まだ15歳の少年少女たち。集団で列車に乗っても、都会に着けば、一人一人ばらばらになって各々の就職先に引きとられていくのです。そんな心細さを親に見せられないと、ひたすら涙を我慢していた子供たち。
しかし、やがて列車が出発し、見送りにきた親や友だちの姿が見えなくなると、堪えきれずに次々と泣き出す子がほとんどだった……と語るのは、当時集団就職列車に乗務したある国鉄OBの方の話です。

そして、ひとしきり泣きじゃくると、やがて母親が作ってくれたおにぎりや弁当、持たせてくれたお菓子を食べ続けました。
寂しさと不安を紛らわせるように、ひたすら食べていたようです。
中には、食べ過ぎて腹痛を起こす子もいました。
見ず知らずの土地で、一人で生きていく子どもたちは、食べ続けることで家族との絆を夢中で抱きしめていたのかもしれません。

毎年、国鉄乗務員の胸を詰まらせたこの光景。「集団就職列車」が廃止されたのは、高校進学率が90%を超えた昭和50年のことです・・・・。