2006年10月アーカイブ

10/29放送分 「島の子供達」

瀬戸内海に浮かぶ島々。しまなみ海道は四国と本州に浮かぶ島々を結ぶルートです。このルートの特徴は、すべての橋に自転車専用道路があること。橋を渡って島から島を巡る全長77キロの「しまなみ海道サイクリングロード」は、サイクリストのメッカです。
「自転車に乗って潮風を受けながらの瀬戸内海は、思い出に残る感動を約束します」と観光ガイドブックに謳われています。
友人が実際にしまなみ海道をサイクリングしたところ、景色もさることながら、ガイドブックには紹介されていないことに出会って感動したそうです。

それは島の子供達。自転車で島を走っていると、すれ違う小学生たちが立ち止まって、笑顔で挨拶するのです。自転車通学をしている中学生もそう。ひと固まりになって通り過ぎるその一人一人が、元気な声で「こんにちは!」と声をかけてくるとか。部活の帰りなのか、揃いのユニフォームに真っ黒に日焼けした顔の男子高校生たちが山道を下ってくるのに出くわすと・・・
やはり一人一人が見知らぬ旅行者に向かって明るく挨拶をするそうです。

しまなみ海道は全国から観光客が訪れます。
その人たちに良い印象をもってもらおうと、島の学校では子どもたちに挨拶の指導でもしているのでしょうか。島の旅館の女将さんに尋ねると、そんなことはないとあっさり笑われたそうです。
島の中で何世代にもわたって、みんな仲良く自然に助け合いながら暮らす人々。知り合いだろうがなんだろうが、道でヒトに出会ったら挨拶することは、ごく当たり前に島の人たちの遺伝子に組み込まれているのかもしれません。

「この島のように誰もが微笑みながら挨拶を交わせることができる安全で安心できる世の中になって欲しい・・・」。そう思わせた島の子供達の笑顔と挨拶が友人にとってその旅の思い出に残る感動となったようです。

10/22放送分 「小さな高原美術館」

熊本県阿蘇の雄大な高原に、小さなかわいらしい美術館があります。
葉祥明(ようしょうめい)阿蘇高原絵本美術館です。
この美術館。美術館を建てるためにこの高原を買い取ったのではなく、高原の自然を残すために買い取って、その一部にこじんまりたてた美術館です。

熊本市生まれの絵本作家:葉祥明さん。幼い頃、実の弟さんである童話作家:葉山祥鼎(はやましょうてい)さんと一緒によくこの阿蘇高原で遊んでいたそうです。光と風、大地と空に心を奪われ、何百回訪れても、自然の壮大さと美しさに惹かれ、阿蘇は兄弟にとって心の故郷になっているとか。ところが、年々自然の丘がなくなってきていることに心を痛め、何とか自分たちが小さい頃から遊んでいたこの丘だけでも残したいと、10年程前、2万坪の敷地を買い取ったそうです。
あるがままの自然の中に、申し訳なさそうに少しだけ人間が歩く小道と休む所をつくり、その自然に溶け込むような心やさしくなる絵を飾る・・・。
そんな小さなお家のような美術館を建てています。絵本から飛び出した生き物たち:リトルエンジェル、はちぞう、ジェイクの名前がつけられた小道や庭・・・・。ところどころにおかれた木のベンチに座り、遠くへ目をやると、有明海や普賢岳も見渡すことができ、空がこんなにも広く大きかったのだと実感します。
美術館の屋根の上の丘に1本の木が見えます、その木は葉さん兄弟が子供の頃からあった木で、樹齢は50年以上。兄弟をじっと見つめてきた1本の木も守りたいという思いでここに美術館をつくり、高原を管理しているそうです。葉さんの絵を見て、この高原をゆっくり散歩すると、心がやすらかになり人間も自然の一部なのだと改めて感じます。

「遠い山々をみつめてごらんなさい その巨きさ(おおきさ)と偉大さ!それに比べれば確かに あなたは小さな一人の人間です しかし、その偉大さに変りはありません」・・・・
葉祥明さんの言葉がやさしく心にしみる場所です。

10/15放送分 「人と人の社交の場:朝市」

実りの秋。採れたての新鮮な山の幸や海の幸が一堂に集まる場所、朝市。
九州の代表的な朝市といえば・・・佐賀県・呼子の朝市。
休みは元旦だけ。年中無休で、毎朝7時半ごろから、70ほどの店が商店街の軒先を借りて市が始まります。トロ箱に入ったアワビやサザエ、もちろん名物のイカもあります。そのほか干物や季節の野菜、果物、花々。
呼子の朝市では、売り手のほとんどが気さくな地元のお母さんたち。鮮度が命とばかり、夜明け前から起きて畑の採り立てを持ってきているそうです。
また、品物に一応値札はあっても、お客さんとやりとりしながら売り値を決めていくのが流儀。「安くしとくけん、どがんね」・・・・。活気のある声が通りにこだまします。

そして、もうひとつは、長崎県・佐世保の朝市。佐世保駅近くの広い市場に250もの店がひしめきあい、なんと毎日午前3時からスタートします。
市場で働く人たちのためにおでんやうどんなどの屋台もあり、あちこちで温かそうな湯気が上がり、笑い声の輪が広がっていきます。
佐世保の朝市の楽しみは、月に2回開催される「競り」。誰でも気軽に参加でき、決着が付かない場合はじゃんけんで決めたりもします。
プロの真剣な競りとは違って、参加する人たちはみんなニコニコ顔の競りなのです。

朝市の魅力は、新鮮な食材だけではなく、人と人の和やかな雰囲気にあるといってもいいでしょう。売り買いの声だけではありません。「おはよう」「元気にしよったね?」・・・。何気ない朝のあいさつからはじまる朝市は地元の人たちにとって屈託のない人々の社交の場にもなっています。その場にいるだけで元気をもらえ、そんな中で買った食材は、食卓に上ると楽しい会話を弾ませてくれそうです。さあ、早起きをして、朝市に出かけてみませんか。

10/8放送分 「実在したスーパーマン」

今年、映画「スーパーマンリターンズ」が公開されました。スーパーマンは
架空の都市メトロポリタンを中心に全世界、宇宙、未来、異次元で活躍する架空のヒーロー。アメリカで1938年にコミック誌から生まれました。
最初に映画化されたのは、1978年のこと。初代の主演:クリストファー・リーヴは一躍スターになり、その後81年に「スーパーマン2」、83年に「スーパーマン3」、87年に「スーパーマン4」が公開され、彼自身がスーパーマンの代名詞になりました。

ところが1995年、リーヴ氏は乗馬中に転落。脊髄損傷を起こし、首から下が麻痺してしまいました。彼は、「自分の足でまた歩きたい。それを叶えて、体が麻痺した多くの人々にとって夢のある存在になりたい。」と厳しい治療や訓練を自ら進んで受けました。数年後には人指し指を動かすことができるようになり、体の一部に感覚を取り戻せるまでに到ったのです。そして、献身な介護をする妻と共に「クリストファー・リーヴ麻痺財団」を開設。長期の障害を持つ人々のために独立して生きる道を支援する活動や、麻痺に苦しむ25万人のアメリカ人を救う為の科学支援をしました。1999年には、テレビ番組を製作し、車椅子に乗った主人公を演じ、2003年の連続テレビ番組「ヤング・スーパーマン」では、若き主人公に深く影響を与える博士役で出演。スーパーマン世代、批評家、視聴者から、「すばらしく、しかもふさわしい役」として温かく称えられました。

脊髄損傷のみならず、難病に苦しむ世界中の人々を励まし続けたリーヴ氏。2004年10/10、自宅で心不全を起こし52歳の若さでこの世を去りました。リーヴ氏は、以前、スーパーマンの主演俳優だったこと以外で名前を知られる存在になりたいと言っていたそうです。彼こそ、架空ではなく、「実在した本物のスーパーマン」といえるのではないでしょうか。

10/1放送分 「インギー鶏」

鹿児島本土の南に浮かぶ種子島にこんな話があります。

今から100年以上昔、香港に向かっていたイギリスの帆船ドラメルタン号が嵐にあい種子島に漂着しました。それを発見した島の村人たちは、救助に向かい、29人の乗組員を浜に上げ、自分たちの家に収容したのです。
さらに、座礁して壊れた船から荷物を運び出し、船の引き出し作業に協力。イギリスから迎えの船が来るまでのおよそ4か月間、村人たちは29人の乗組員を「インギーさん」と親しみを込めて呼び、手厚くもてなしました。
インギーさん……これは「イギリス」が島の方言で訛った言葉です。
そのインギーさんたちがいよいよ島を去るときには、浜辺でお別れのパーティが開かれ、お互いに涙を流して別れを惜しんだそうです。
当時の帆船では長い航海のために食料として動物を船内で飼っていましたが、遭難したドラメルタン号には鶏(ニワトリ)が飼われていました。
29人の乗組員はその鶏(トリ)の11羽を感謝の気持ちを込めて村人たちに置いていったのです。
茶褐色の艶のある毛と、短く丸い尾羽。見たこともない珍しい鶏(ニワトリ)を、村の人々は「インギー鶏」と名付けることにしました。

100年以上たった現在も、この浜の近くに建つ花峰小学校では、インギー鶏が大切に飼われています。子供たちが校庭の片隅にあるニワトリ小屋に駆け寄り、自主的にえさをあげたり、背中を撫でたりしてかわいがっています。島の人々もその贈り物を大切に守り、今では種子島ブランドの特産品になっています。

国を越えた感謝の心がもたらしたインギー鶏。種子島ではイギリス人を島の言葉で「友達」という意味の「トンミー」と呼び、イギリス祭りを開催するなど、イギリスとの心の交流、思いやりは今も続いています・・・・。

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