2006年9月アーカイブ

9/24放送分 「コスモス街道」

そろそろ、「秋の桜」と書くコスモスの花が咲き始めますね。
コスモスの名所はいくつかありますが、福岡県久留米市北野町のコスモス街道のエピソードをご紹介しましょう。

北野町を流れる筑後川の支流、陣屋川(じんやがわ)。その両岸に毎年10月になると、長さ4キロにわたって、赤、白、ピンクなど、数十万本のコスモスが咲き乱れます。周辺ののどかさとコスモスの美しさに魅了され、シーズン中はおよそ10万人の人々が訪れます。
このコスモス街道・・・。今から30数年前に、ある一人の住民がコスモスを植えたのがきっかけでした。当時、川へのごみの投げ捨てに心を痛めた男性が、花を植えて美しい場所にするとごみを投げ捨てる人も少なくなるのではと考え、自宅前の土手に10メートルほどのコスモスを植えました。その時、ちょうど女のお子さんが産まれる時期でもあったので記念に祝う気持ちもあったとのこと。その後、次第に川にごみを捨てる人も少なくなり、きれいになっていきました。さらに、コスモスを植え育てるボランティアの輪も広まっていき、素晴らしいコスモス街道になりました。10メートルからはじまったコスモスの道は地域の皆さんの手で10数年の間に4キロに伸び、娘さんは花嫁に・・。
最初にコスモスを植えた男性は、娘さんが花嫁になる日、一緒にそのコスモスの中を歩いたそうです。
コスモスの花言葉は、色によって異なる説もあります。
赤は「調和」。白は「美麗」。ピンクは「少女の純潔」。
まさに、コスモスの花道は嫁ぐ娘と父が共に歩くのにふさわしい道だったでしょうね。
残念ながら、その男性は数年前にお亡くなりになりましたが、この方が植えたコスモスは毎年この時期、花を咲かせ、多くの人に癒しの心を与えています。
見頃の10月7日、8日の(土)(日)は「コスモスパーク北野」でコスモスフェスティバルも開かれます。美しく咲き乱れるコスモスを眺めながら、最初にコスモスを植えた男性に感謝したいと思います。

9/17放送分 「牧水忌」

日一日と秋の気配を感じる季節です。
四季の移ろいがある日本には、その自然の姿に人の心を重ね合わせる短歌や俳句という独特の文学が生まれました。自然や人間への溢れる思いを色鮮やかな 9000の歌に残し、今、全国に300近い歌碑がある国民的な歌人といえば若山牧水です。
明治18年、宮崎県生まれ。現在は日向市となった旧東郷町に牧水の生家が残されています。旅と酒、そしてふるさとの歌人といわれる若山牧水。
実際、彼は数えきれないほどの旅をし、多くの旅の歌、自然の歌を詠み、また、お酒が大好きだったことから多くの酒の歌も残しています。
しかし、歌人として名が知られるようになっても、若山牧水はいつもお金に困っていたようです。歌をつくること以外には無頓着で、売れる当てもないのに短歌の同人誌を作っては売れずに大借金。後先のことを考えずに気まぐれでふらっと旅に出たりして、回りの人たちを振り回していました。
また、時にはお酒を飲み過ぎて酔っ払い、顰蹙をかったりもしていたようです。それでも、彼は生涯少年のような純粋な心を持ち続け、迷惑をかけられても懲りずに彼を手助けする人が次々に彼の前に現れました。
牧水と結婚した貴志子さんもその一人。彼との間に生まれた息子が後年、「よくあんなお父さんと結婚する気になったね」と尋ねたとき、彼女はこう答えたそうです。「私はお父さんの目に負けたんだよ。風采は上がらないけど、あのキラキラして澄んだ目の持ち主に悪い人のいるはずはないと思ったから」

昭和3年。44歳の若さでこの世を去った若山牧水。彼の最もよく知られた歌のひとつを紹介しましょう。
「白玉の 歯に染み通る 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」
きょう9月17日は、彼の命日である「牧水忌」です。

9/10放送分 「ハナミズキ」

明日9月11日は、アメリカで同時多発テロが起こった日。
2973人といわれる被害者の家族は、まだあの瞬間から時間(とき)がとまったままという人も多いようです・・・。あれから5年(2001年)たった今も世界中で「テロ」という言葉がなくなっていないことには心が痛みます。
ハイジャックされた4機のうちの1機「ユナイテッド航空93便」は事実に基づいて映画化され、先月日本でも公開になりました。
再びあの惨事を思い出した方もいらっしゃるでしょう・・。

アメリカ同時多発テロをきっかけに、平和や愛をテーマに表現活動をしている人も少なくありません。そのひとり、一青ようさんも「ハナミズキ」という曲に、その思いを寄せています。彼女はコンサートトークでこのようなことを言っていました。
「もし、今、災害や事故が起きて、助け船がやってきたとします。その船にはあと一人しか乗ることができないとしたらどうしますか?自分が乗るのではなく、自分が愛する人を乗せてあげる気持ちがあればいいなと思います・・・・。自分が愛する人には、その人が愛する人がいるはず・・・。自分が愛する人と、その人がまた愛する人のことまで思うやさしい気持ちがあれば、世の中も平和になるのではないかと思ってつくった曲です・・・。」
「ハナミズキ」の歌詞には、「どうぞゆきなさい」「お先にゆきなさい」とか「君と好きな人が百年続きますように・・・」という言葉があります。
5月に白や薄紅色の美しい花を咲かせ、秋には、赤い実をつけるハナミズキ。
1912年に東京市がアメリカにソメイヨシノの桜を贈ったお返しに、1915年に日本へ渡ってきた花と言われています。

花言葉は、「私の思いを受けてください」。この曲の想いのようなやさしい気持ちがいっぱい広がるといいですね。

9/3放送分 「ドリームフィールド」

今日、9月3日は「草野球の日」。宣言したのは、広島県の小さな野球場「ドリームフィールド」です。ダイヤモンドは天然芝で、外野は天然雑草。外野フェンスの代わりにトウモロコシ畑があるグラウンドですが、実はここは全国の草野球ファンにとっては、夢の聖地なのです。

1990 年の映画『フィールド・オブ・ドリームス』。アメリカ・アイオワ州の片田舎に暮らす男がたった一人でトウモロコシ畑の中に野球グラウンドを造ったら、昔の大リーグで活躍した名選手たちが幽霊となって現れ、そのグラウンドでプレイをする・・・・。草野球への熱い思いが奇跡を起こすという素敵なファンタジーですが、この映画を見て感動した日本の草野球チームの面々が、実際に野球場を作ってしまったのです。みんなで手分けしての資金集め。借り上げたのは片田舎の段々畑。人力で土地を慣らし、炎天下で石ころをひとつひとつ拾っていく日々。馬鹿げた連中だと言われても、当人たちは大真面目。「この球場が完成すれば、自分たちにも奇跡が起こる・・・・・そんな冗談を言いながら、夢の実現を楽しんでいたのです。

3年後、ようやく手づくりの球場「ドリームフィールド」は完成。ところが、本当に奇跡が起こりました。この話がアメリカまで伝わり、映画に出演した選手たちで結成されたチームが、親善試合に訪れたのです。
その日、芝と雑草が繁る空き地のようなグラウンドに、映画そのままの選手たちが、映画そのままにトウモロコシ畑の中から登場。それはまさに夢のような光景だったそうです。

それから10年後。さまざまな事情で、この夢の球場は今年いっぱいで閉鎖されることになりました。
草野球を愛する人たちの夢を乗せて、きょう9月3日、ドリームフィールドでは、毎年恒例の「草野球甲子園」最後の決勝戦が行われています。

 

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