15000平方メートルの巨大な水田をキャンバスにした浮世絵が、青森県・田舎館村(いなかだてむら)に出現しました。力強い男、そして、しとやかな女の2枚の絵は、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)と喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の作品。
紫、黄色、緑の稲を使い分け、5月下旬、村民や村内の小学校の児童、それに県内外から、およそ1000人の参加者が集まり、昔ながらの手作業で、1本1本稲を植えました。そして7月初め、稲の生育と共に、たくましく、そして美しく「稲が作り出す浮世絵」が浮かび上がってきました。
田舎館村は、北方稲作文化発祥の地で、今からおよそ2000年前の弥生時代から稲作が続いています。その財産を残し伝えていこうを、これまで県内外に呼びかけて「田植え稲刈り体験ツアー」を行っていました。10回目を迎えた平成14年、何か記念になるイベントを!と企画されたのが、この「水田の巨大アート」。
古代から伝わる稲作を現代の文化と融合させようと、古代品種「紫稲」(むらさきいね)と「黄稲」(きいろいね)、それに現代品種「つがるロマン」の3種類を使って絵を描いてきました。これまで「モナリザ」や「棟方志功」(むなかたしこう)の絵に挑戦し、毎年多くの参加者と観光客で賑わいをみせています。8 月中旬までが見頃で、9月の下旬には稲刈りをするそうです。
「いなかだて」村のモットーは、命を大切にし水と緑を愛するの「い」。何事にも協力し人の和をはかるの「な」。考えを深め学ぶ態度を養うの「か」。誰とでもふれあう心の「だ」。天と地の恵に感謝し働くことを尊ぶの「て」。・・・・だそうです。
そのモットーのごとく、天と地、そして古代と現代の人々の知恵と力がひとつになった、青森県田舎館村の「水田の巨大アート」・・・。いつか芸術作品となる1本を、この手で植える1人になってみたいものです・・・。
2005年7月アーカイブ
「カブトムシおじさん」
全国の子どもたちにカブトムシの幼虫を送り続けている人がいます。
福岡県久留米市に住む酪農家・内田龍司(りゅうじ)さん53歳。通称「カブトムシおじさん」です。
今から28年前、内田さんは、牛の糞を混ぜて作った野積みの堆肥の中からカブトムシが這い出してくるのを見つけました。そのカブトムシを近所の子どもたちに分けてあげたところ、大喜びされたそうです。以来、乳牛を飼育する傍ら、堆肥でカブトムシにエサ場を提供し、たくさんの幼虫を繁殖させてきました。そして、その幼虫たちを、全くの無償で、小学校や幼稚園・保育園など全国の子どもたちに送り続け、笑顔や希望を与え続けてきました。
しかし、2004年11月、「家畜排泄物処理法」が施行。これにより、堆肥の野積みができなくなり、カブトムシの幼虫が繁殖できない状況になりました。内田さんのもとには、全国の子どもたちからたくさんのお礼状が届いていました。「うれしかった。ありがとう。大事に育てます。来年又ください・・・。」そんな子どもたちのメッセージを見ると、「これからもカブトムシの幼虫を待っている子どもたちがいる・・・。ここで辞めてはいけない!」と思ったそうです。そこで、内田さんは、個人で、「構造改革特区」を申請。今年3月、国から日本で初めて「カブトムシ特区」として認められました。それにより、牛の糞を使ってカブトムシの幼虫を育てることができるようになったのです。
カブトムシの幼虫は、健全なエサを食べた安全な乳牛の堆肥に多く宿るそうです。内田さんは、ご近所から稲のワラを分けて頂き牛に食べさせ、お礼に農家に牛の堆肥を分けて差し上げ農業に活かしてもらっているとのこと。つまり、有機農業にも貢献することから、地域の循環型農業にも役立っています。
一方、子どもたちは、カブトムシの飼育や観察を通して、命の大切さと自然の不思議さを実感しているようです。
内田さんにとっては、何よりも子どもたちが喜んでくれることが、一番の喜びです。
自然にとっても人にとっても、「笑顔の循環」に役立っているカブトムシ特区です。
宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」のキャラクターパネルで一躍有名になった、大分県佐伯市宇目の轟(ととろ)地区。
作者不明の手づくりパネルが登場し、静かな地区に多くの観光客が訪れるようになりました。先日は、老朽化したトトロに変わって、2代目トトロがまたもや現れ、地域の人たちは首をかしげつつ、「また、子どもたちの笑顔が見られる」と喜んでいます。
この「子どもたちの笑顔」の裏には、地域の人たちの、たくさんの力があります。
その昔、轟地区になかったバス停は、地区の大人たちがバス会社とかけあって設置されたもの。木で造られた屋根つきのバス停は、子どもたちを雨や風から守ってくれました。
それから、40年。アニメ「となりのトトロ」に夢中になった子どもたち。「このバス停に、本当のトトロが来てくれればいいなぁ・・・・」。そんな、子どもたちの夢に応えようと、あるお母さんが描いた「トトロ」の絵が、バス停の壁に貼られました。
子どもたちの夢は膨らみます。「ここに、世界中のトトロが集まる場所があったらいいね。」
かわいい孫たちの笑顔が見たいと、ある老夫婦が手作りのトトロ人形を作り、大きな木の枝に乗せてあげました。すると、人形はだんだん増え、いつしか願い事を書いたトトロの人形でその木はいっぱいになり、「トトロの森」と呼ばれるようになりました。
こういった地域の人たちの子どもたちへの思いやりがあって、ある日突然現れたパネルたち。パネルも、安全上の問題で本来なら撤去しなければいけなかったけど、「せっかく作ったんだから、家の畑におけばいい」と言ってくれる人がいて、地区の人も快く移動を手伝ってくれたそうです。そんな気持ちが届いてか、訪れる人たちも、不思議とゴミを散らして帰る人たちはいないとか・・・。
名もない作者がプレゼントした「トトロのキャラクター」たちだけでなく、小川が流れるのどかな山里の風景、子どもたちをやさしいまなざしで見守る地域の人たちに触れ合うため、この夏訪れてみたい土地です。
中世のヨーロッパで、レンガを運んでいる人たちがいました。ある人が、その人たちに何をしているか尋ねました。答えは、三人三様。「私は、レンガを運んでいます。」「私は、壁を作っています。」「私は、宮殿を造っています。」・・・・・・
外から見える姿は一緒でも、心の中はそれぞれ全く違っています。
日常の仕事や勉強でも、そのひとつひとつは、夢への大きな歯車を担っている・・・・。それを、つい、地味なことと思ってしまったりする私達・・・・。心の中の考え方ひとつで大きな誇りと自信に結びつくのでしょうね。
日本の、最近のドラマの中で、ある青年が語るこんな台詞がありました。
「奈良の東大寺の大仏って、教科書には、聖武(しょうむ)天皇が造ったと書いてあるけど、実際に造ったのは、名前も知られることのない大勢の人たちなんだよねぇ。」
そんな台詞をさらりというドラマの中の彼に心惹かれ、また、その台本を考えた脚本家に感心しました。
歴史に残る建造物は、それを考案した当時の権力者は知られていても、体を使って造った無名の人たちがいたことは、葬り去られている・・・。世に知られている人の影に、たくさんの人の力があることが見えるって、素敵なことだと思いました。
「縁の下の力持ち」という諺を改めて辞書で引くと=表に出ないで、重要な仕事をしていること=と書いてあります。
縁の下で誇りをもつ人。縁の下の存在に感謝し、ねぎらう人。その両方があってこそ、思い出に残る「もの」や「出来事」を作り出されるのかもしれないと感じました。
今、「命を見つめて」という作文の輪が広まっています。
この作文を書いたのは、去年9月、骨にできる癌=骨肉腫で亡くなった猿渡瞳さんです。
福岡県大牟田市に住む、当時中学2年生でした。
小学6年生の時、がんと診断され、「余命半年」と言われました。
1年9ヶ月に及ぶ闘病生活の中で、命の大切さを綴った瞳さんの作文が、亡くなってから、全国作文コンクールで優秀賞を受けました。
瞳さんは、病気になった「おかげ」で、本当の幸せを知ったと言っています。
それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということ。
命さえあれば、どんなに困難な壁にぶつかって、悩んだり、苦しんだりしても、必ず前に進んで行けるんだということ。生きたくても生きられなかった、共に闘病生活を送った瞳さんのたくさんの仲間が、命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが自分の使命だと瞳さんは思ったそうです。
「人間はいつどうなるかなんて、誰にもわからない。だからこそ1日1日がとても大切。
命を軽く考える人たちに、病気と闘っている人の姿を見てもらいたい。どれだけ命が尊いかを・・。」といいながら、13歳の瞳さんは、永遠に瞳を閉じたそうです。
でも、その瞳さんの気持ち=「命を見つめて」が家族や友人らを通し、全国各地へ伝えられ、感動と感謝の輪が少しずつ広がっています。
この全文が掲載された本{13歳のがん闘病記・瞳スーパーデラックス}も、この度、西日本新聞社から出版されました。
瞳さんは亡くなっても、「瞳さんの気持ち」は、これからもたくさんの人の中に、生き続けるでしょう・・・・。命の尊さを見つめながら・・・・。