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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2024-08-16(金)

なぞなぞあんこ~

くろあん、しろあん、色々あるけど、

お盆の終わりの

「あん」って、なーんだ?

答え:Uターン(ゆうたあん)

実家から戻るのは「ゆうたあん(Uターン)」…

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2024-08-15(木)

1951年の話。

後に、愛媛の宇和島市長となる中川千代治さんは、

国連総会に出席。

あるものを作るために、材料を

提供してほしいと訴え、

65か国が趣旨に賛同。

中川さんは「それ」を作り、国連に寄贈しました。

何を作ったんでしょう?

答え:鐘(平和の鐘)

ニューヨークの国連本部に今も「平和の鐘」が吊るされている。
この鐘は日本が国連に加盟するより前、1954年に後の宇和島市長、中川千代治さんが寄贈したもの。
1951念に、中川さんは国連総会に出席して演説。
「平和を願う世界の人々のコインで、平和の鐘を造りたい」
結果、65か国のコインと、ローマ教皇から金貨9枚を受け取った。直径60cm、高さ1m、重さ116kgの鐘を造り、寄贈した。

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2024-08-14(水)

今年の夏は盆踊り、踊りましたか?

愛知県東海市で、2009年から

ちょっと変わった盆踊り大会が

開催されていました。

ある電化製品を使う盆踊り。

何を使っていたんでしょう?

(2019年まで行われていたがコロナ流行以降中止に)

答え:ラジオ

愛知県東海市大田町で行われている夏祭り「ザ・おおた・ジャンプフェスティバル」。
この祭りの名物イベントが「無音盆踊り」
参加者はイヤホン付き携帯ラジオを持参。会場で音楽をFM電波で発信し、イヤホンでその曲を聴きながら踊る、盆踊り。
元々は岐阜県郡上市の徹夜で踊る「郡上おどり」のような、ユニークな盆踊りができないか、模索する中で始めたもの。
2種類の曲を同時に別の周波数で流し、2つの輪が違う踊りを踊る。のようなことも可能になった。ただ、無音(に見える)中、大勢が踊る様子は不気味でもあった。

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2024-08-13(火)

太陽を背にして、

光の進む方向から、

42度と51度の2つ。

これ、何でしょう?

答え:虹

虹は空気中の水滴に反射してできる。
この時、虹ができる方向と大きさは決まっている。必ず太陽の光の進行方向。つまり、太陽を背にして自分が影になっている方向から42度の角度に虹ができる。
そしてもう1本、淡い虹(副虹)が51度の角度にできる。
これは水滴の中の屈折率のメカニズムによるもの。
太陽光に対する角度は決まっているので、太陽の高度が低い、朝や夕方にできやすい。

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2024-08-12(月)

AとBには、それぞれある単語が入ります。

「AB」は、

宮崎県・高千穂町が発祥で、「落下型」。

「BA」は、

鹿児島県指宿市が発祥で、「循環型」。

Bに入る食べ物、何でしょう?

答え:そうめん

今年はもう「そうめん」食べましたか?夏の風物詩「流しそうめん」と「そうめん流し」。どちらも同じものを指しているように見えるが、実は明確な違いがある。
先にできたのは「流しそうめん」。発祥は昭和30年(1955年)、宮崎県高千穂町。当時、この地に駐在していた新聞記者が、外でゆでたそうめんを割った竹に入れ、高千穂峡の冷水にさらして涼を得た体験を記事にした。その記事を、地元の食堂の社長が読み、竹樋(たけどい)に水を流す現在の流しそうめんのスタイルを作り上げた。その後、名水の地を中心に徐々に全国へと文化が広まっていった。
一方、「そうめん流し」というスタイルを作ったのは鹿児島県指宿市。1日10万トンも湧き出る唐船峡の水を観光資源としてアピールするため、昭和37年(1962年)に、水流がぐるりと一周するドーナツ型の容器が開発された。家庭用のそうめん流し器は、この鹿児島のスタイルを商品化したもの。唐船峡には現在も、市営のそうめん流しの専門店が3つもある。

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2024-08-09(金)

オリンピックなぞなぞ~

オリンピックが終わった「直後」と、

今から「4年後」。

2回、来るものってなーんだ?

答え:ロス

オリンピックが終わった直後は「ロス」に、そして、4年後のオリンピックは「ロス」!
次のロサンゼルスオリンピックは、2028年7月14日開幕!(7月30日まで)

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2024-08-08(木)

昨日のオリンピック、女子やり投げの

予選を、1回の投てきで通過した

北口榛花選手。

「はるか」の漢字は木へんに「秦(はた・しん)」という字に「花」。

この名前は北口選手のお父さんの

職業にちなんでつけられました。

お父さんの職業、何でしょう?

答え:パティシエ

榛花の「榛」はヘーゼルナッツを表す漢字。
旭川のホテルでパティシエを務めるお父さんが先に決めた「はるか」の読みに合う漢字として選んだ。

2019年、66m00を投げ、日本記録を更新した時にはお父さんがヘーゼルナッツのケーキを作りお祝いをした。

北口選手は子どもの頃は、水泳とバドミントンをしていた。
競泳では全国大会にも出場。
高校で初めて、陸上競技の道に入った。

女子やり投げの決勝は、11日(日)の午前2時30分~

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2024-08-07(水)

オリンピックの歴史の問題です。

初めて、出場したのは、

1984年のロサンゼルスオリンピックのテニスや

同じく、1984年の冬のサラエボオリンピックのアイスホッケー。

何が初めてだったんでしょう?

答え:プロ選手

元々、「アマチュアスポーツの祭典」と定められていたオリンピック。
しかし、プロスポーツ選手が増えたことや社会主義国のトップアスリートが公務員扱いでプロ規定からはずれることの不公平感、そして「トップアスリートを見てほしい」というIOCの意向もあって、1974年、オリンピック憲章から「アマチュア」の言葉が削除された。

実際にプロの選手が出場したのは1984年。冬のサラエボのアイスホッケーや夏のロサンゼルスのテニスから。

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2024-08-06(火)

1920年に開催されたアントワープオリンッピック

男子1500m走の銀メダリスト

イギリスのフィリップ・ノエルベーカーさん。

彼は引退後、自分の「目標」を叶えるため、

スポーツから離れ、別の仕事に携わり、

1959年にノーベル賞を受賞しました。

ノエルベーカーさんの「目標」何だったんでしょう?

答え:世界平和(軍縮)

フィリップ・ノエルベーカー(1889-1982)は、青年時代中距離走の選手として活躍。
1920年のアントワープオリンピックで銀メダルを獲得。その一方で第1次世界大戦に従軍した経験から世界平和を強く願うようになり政治家に転身する。
1929年に庶民院議員に当選。チャーチル戦時内閣で運輸大臣を務める。
ベルリンオリンピックに反対し第2次世界大戦後も一貫して平和軍縮運動に携わり、1959年にはノーベル平和賞を受賞した。
オリンピックメダリストでノーベル平和賞受賞したのはノエルベーカだけ。
1960年代からはたびたび広島や長崎を訪問。1970年にヒロシマ会議に出席。生涯、世界平和と軍縮に尽力した。

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2024-08-05(月)

パリオリンピックで、

木の棒を持った人、見ませんでしたか?

競技の開始前に、

「木の棒で地面をトントントン、と3回打つ」場面。

これ、フランスではある場所で行われている伝統的な儀式。

普段はどこでやるものでしょう?

答え:劇場

今回のパリオリンピックでは、各競技の開始前に、木の棒を持った人が現われ、静寂と緊張感の中に響くトントントンを合図に、熱い戦いの火ぶたが切られる。ちょっと不思議な「儀式」は、フランスの劇場文化に由来するもの。
フランスの劇場で中世から行われていた「Trois coups(トロワ・ク)」が元になっていて、直訳すると「3回たたく」という意味。「ブリガディア」と呼ばれる突き棒で床や地面を3回打ち、舞台の開幕を知らせる。3回打つことの意味や起源を巡っては、「俳優・観客・物語」あるいは、「演劇・役者・歌」「観客席・舞台の上手・舞台の下手」の三つを指すという説もあれば、「王・女王・王子」の到着を告げたなど、諸説ある。
大会組織委員会は、「スポーツと演劇の伝統文化を組み合わせることにより、フランスの伝統文化に敬意を示すため、この儀式をオリンピックの新たな試みの一つ」としている。

木の棒を持つ人は、元スポーツ選手のこともあれば、フランスの俳優や著名人という場合もある。中には、無名のボランティアということもあるらしい。

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