2020年3月アーカイブ

2020年3月28日「日本の予防接種の始まり」

インフルエンザのワクチン注射など、伝染病の抑止に大変重要な「予防接種」ですが、江戸時代に予防医学に取り組み、日本で初めて予防接種を成功させたのが秋月藩の藩医、緒方春朔でした。

秋月藩では寛政元年から天然痘が流行。
当時は治療の術もなく多くの人命が奪われる恐ろしい病気でした。
春朔は中国の医学書から学んだ"種痘"という予防接種の研究を重ね、患者にできた瘡蓋を粉末にして鼻から吸引させるという接種方法を考案します。

この時、かねてから春朔を支援し深く信頼していた大庄屋の天野甚左衛門が二人の我子で試すよう申し出るのです。
失敗すれば子供たちの命を奪うかもしれない...。
春朔は固辞しますが、甚左衛門は「これで多くの人が救えるのなら」と引き下がらず、その熱意に助けられ春朔は種痘を行うことが出来たのでした。
発病した子供たちは軽い症状で治まり元気に回復。
種痘に成功した春朔は、これを我がものとせず広く世に広め、春朔のもとには各地から多くの医師が集まり学んだと言われます。

春朔の種痘の成功は1790年寛政2年、イギリスの医師ジェンナーの牛痘による種痘法成功の6年も前のことでした。
福岡県の朝倉医師会病院には、初めて種痘を行う春朔と子供達、甚左衛門の姿が刻まれた顕彰碑が建てられています。

日本ではまだあまり馴染みがありませんが、「クリケット」というスポーツがあります。
17世紀にイギリスで始まり、その後オーストラリアやインドなど、かつてイギリスに支配された国々:イギリス連邦を中心に世界中に広まっていきました。
現在は100を超える国と地域でプレイされるグローバルスポーツ。
ワールドカップも開催され、2028年のオリンピックでは正式競技となることが有力視されています。

クリケットの基本は、投げたボールをバットのようなもので打つ。
野球と同じような感覚ですが、ゲームのやり方はまったく違います。
たとえば、打者は横や後ろなど全方向に打ってもよく、守る側も打者の周り360度の外野を9人で守備するというから驚きです。
もっと驚くのが試合時間。なんと7時間の長丁場です。
そのため試合途中に40分のランチタイムと20分のティータイムが組み込まれているのです。
この休憩時間になると選手たちは芝のグラウンドにマットを広げて家族や友人たちと優雅に食事やお茶を楽しみます。

そして何よりもイギリス発祥のスポーツらしさは、徹底したフェアプレイ精神。選手一人一人には対戦相手へのリスペクトが求められます。
また観客も対戦相手のスーパープレイには拍手を送って誉め称えます。
選手だけでなく観客も紳士・淑女のスポーツ、それがクリケットなのです。

2020年3月14日「自分の目で確かめる」

昭和40年3月14日、沖縄の西表島で新種の山猫が発見されました。
人間も暮らしてきた小さな島に山猫が棲息し、それが現代になって発見されたことに世界中が仰天しました。
発見したのは、戸川幸夫さん。動物文学で有名な作家です。

じつは西表島の人たちが「山猫を見た」という話は昔からありました。
でも多くの学者は「飼い猫が逃げて野生化したのだろう。こんな狭い島に山猫がいるわけがない」と相手にしなかったのです。
戸川さんは「この目で確かめてみないと、飼い猫が野生化したものとは言えない」と考えました。
作家になる前は新聞記者をしていた彼は、記事を書くときは必ずそこに行って取材をし、自分の目で確かめたものだけを書いていたのです。

西表島に赴き、島民たちの話を聞き、森の中を歩き回りました。
が、山猫に遭遇することはできませんでした。
そこで島民たちの協力で山猫のものと思われる毛皮や骨を探し集め、それを東京に持ち帰り学会に鑑定を依頼。
その結果、山猫の新種だということが分かったのです。

この山猫に名前を付ける際、発見者の名を取って「トガワヤマネコ」とする提案が上がりましたが、戸川さんはそれを辞退。
「この猫は西表島の人たちのそばでずっと生きてきたのだから」と、「イリオモテヤマネコ」と名付けるよう提案したそうです。

2020年3月7日「乙女の祈り」

どこかはかなげな響きが胸に沁みる『乙女の祈り』。
とても有名な曲ですが、作曲者の名前はほとんど知られていません。

その名はテクラ・バダジェフスカ。19世紀のポーランドの女性ピアニストです。

本格的な音楽教育を受けていないバダジェフスカでしたが、22歳で『乙女の祈り』を作曲。自ら本屋などでその楽譜を手売りしました。
それがたまたまフランスの音楽雑誌で紹介されると人気に火がつき、世界中で百万部以上の楽譜が売れたのです。
レコードもラジオもない時代。異例の若さで世界初とも言われるミリオンヒット曲を生み出したバダジェフスカの名がなぜ知られていないのか?

彼女は結婚して5人の子どもに恵まれますが、27歳の若さでこの世を去りました。
またポーランドの彼女が暮らした町はその後、第二次世界大戦などの戦火に焼かれ、彼女に関する写真や資料はまったく残っておらず、家族の消息さえもわからなかったのです。

歴史の中に埋もれてしまった『乙女の祈り』の作者、テクラ・バダジェフスカ。
しかし最近になって彼女の作品が数曲発見され、再評価する研究が進んでいます。
近年、ポーランドの荒れ果てていた彼女の墓はキレイに整備され、花やロウソクが供えられています。

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