江戸末期、長崎に鳴滝塾を開校した、日本近代医学の父・シーボルト。
その日本人妻のお滝がシーボルトに送った手紙が昨年、オランダのライデン大学で発見されました。
長崎出島のオランダ商館の医師であったシーボルトは滝を妻に迎え、イネという娘を授かりましたが、日本地図を、禁止されていた国外に持ち出そうとして発覚し国外追放となるのです。
愛する妻と、まだ2歳であった愛娘との悲しい別れでした。
発見された滝の手紙は「三度の御手紙相届き」という書き出しで始まっています。
シーボルトがオランダに向う船旅の途上で書いた3通の手紙は、妻や娘から遠ざかっていくことを悲しむように立て続けに書かれていました。
滝の返信も「この手紙をあなたと思って忘れることはありません」
「おいねは毎日、あなたのことばかり尋ねます。私もあなたへの思いを焦がしています」と夫への想いが切々と書き綴られています。
シーボルトは帰国後、日本で収集した紫陽花を「ハイドランジア・オタクサ」と命名してヨーロッパ社会に紹介しました。
花の名に「お滝さん」を忍ばせたシーボルト。
淡く優しい姿の紫陽花にお滝の面影を重ね見たのでしょうか。
紫陽花の季節を迎えると、シーボルトとお滝の恋物語が思い起こされます。